それが起こったのは、今から300年以上も昔のこと。前触れもなく消滅した人々、姿を消した動物達。いわれのない滅びが、先文明を瞬く間に飲み干してしまった。
それはまさに、崩壊の時代。
奇跡的に生き延びた人々は、虹の翼を持つ使者に導かれ、選ばれし「カンリシャ」の下、文明の再生に尽力した……再び、繁栄する未来を求めて。
この時代をRC──リバース・センチュリーと呼ぶのには、人々のそうした願いが込められている。
「……で、あるからして、RC初頭に於ける匠の役割とは……」
午後───眠気を誘う日溜まりの下、ユアナは机に突っ伏したまま本日何度目かの欠伸を噛み殺していた。毎年のように繰り返し聞かされる、「崩壊」と「奇 蹟」の伝承。村中の子供達がそらで言えるようになるほど、念入りに語り続けられてきたものを、今更また聞かされるのは、彼女にとって苦痛以外の何物でもな い。
大体、何の前触れもなく人間が塵のように消えるなんて、お伽噺もいいところではないか。そんな話をありがたがって繰り返すなど、大人っていう生き物は、案外単純なものだ。
それより、今日はこの後何をして過ごそうか?
ユアナの関心事は、学校が終わってから家の手伝いをするまでの、ささやかな自由時間へと移っていく。
ばたばたばたばたっ
廊下から複数の足音が威勢よく響いてきたのは、まさにそんなときのことだった。
──あ〜あ、あんなうるさくしちゃって。先生カンカンだぞぉ?
所詮はただの他人事。ユアナは顔を真っ赤にして怒鳴り散らす教師の顔を想像して、ばれないように小声で笑う。が、
がらっ
彼女には解らなかったが、教室のドアを勢いよく開けたのは、教師ではなく闖入者の方だった。
「な……」
「フォーチュナー、ユアナ・フォーチュナーはいるかっ!?」
怒りのあまり言葉をなくす教師を無視し、野太い声が叫ぶ。
「ふみゃっ!」
途端、ユアナははじかれたように起きあがった。教室中の視線が、彼女に向けられている。入り口では軍服を身につけた体格のいい男達が、殺気立った目つきで室内を見渡している。
「な、何です、あなた方はっ」
ようやく我に返った教師が、弱々しく問いかける。先頭に立つ男が、じろっと彼を睨み付ける。
「これだから田舎者は困る。そんなこともわからんのか?」
鼻で笑うように言ったのは、先程教師を押し退けた男だった。
「な……! あ、あなたがたは……」
愚弄されたことに逆上しかけた教師は、次の瞬間驚愕して蒼白になった。
統一されたカーキ色の軍服。帽子のラインは漆黒で、その中央と胸元には、よく見知った親しみ深い印が縫いつけられている……
「ギルド、正規軍……」
近くに座っていた子供が、掠れた声で呟いた。
「これはカンリシャ様からの直々の命令だ! ユアナ・フォーチュナー! いるのは解っている。返事をしろ!」
その言葉の重みが十分に浸透するのを待ってから、男は再びそう叫んだ。
「ユ、ユアナ……」
隣の席の少女が小声で彼女を促す。ユアナは不安げに辺りを見回して、覚悟を決めた。誰も、助けをくれる様子を見せなかったから。
「はい、私、です……」
立ち上がり答えると、男の中の一人がつかつか歩いてきて、目の前に立った。
乱暴に頭を掴み、検分するように彼女をねめつける。人を見るというより、商品を見るのに近い目つきだ。
「お前が“フォーチュナー”か……」
「……」
確認する男の言葉に、ユアナは無言で答えた。ギルド正規軍の力がどれだけのものか、増して“カンリシャ様”直々の命令にどれほどの意味があるのか、知らないほどの子供ではない。“カンリシャ様”はこのギルドに於ける絶対者だ。それにさからうことなど、できるはずもない。
ただ彼女は、男の人を人と思わぬ態度が気に入らなかっただけだった。
「まあいい。ユアナ・フォーチュナー、我々と来てもらおうか」
反抗的な彼女の態度を、男はさして気にもとめなかった。本気で逆らったところで何ができるわけでもないことを、彼らはよく知っているのだ。
たかが小娘一人。それでも“カンリシャ様”の命令は絶対だ。
男はユアナの両手に、異様に頑丈な作りの手錠をかける。物理的に頑丈なだけでなく、匠の特殊な加工が施された手錠。それは、こそ泥程度の罪人には使われないような、立派な“細工物”だった。
「!」
「行くぞ」
男は乱暴にユアナの腕をひいた。
室内は水を打った静けさに包まれていた。子供達は息を飲んでユアナと、彼女を連行する正規軍の軍人達を見守っている。
訳が分からないのは皆同じだった。彼女が、ユアナが一体何をしたというのだろう? 村では年長の部類に入る教師でさえ、あれほど厳重に拘束された罪人など、未だ見たことはない。けれど、“カンリシャ様”に間違いがあるはずはない。
しかし、それにしてもユアナは一体何故……
「早く歩けっ」
ショックで自失しているユアナを、男は力ずくで引きずっていく。廊下には、更に多くの軍服の男達が、ただ彼女だけを待ち構えていた。
「……」
ドアを抜けるとき、ユアナは思わず後ろを振り返った。
教室の中にいる友人達は、彼女の視線を避けるように、一様に俯くばかりだった。
「……」
ユアナは唇を噛み締め、とぼとぼ自分の足で歩き始めた。
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