SCENE3:連行〜逃亡

 

「けっギルドマスターの威光をかさにきてるだけで、随分偉そうじゃないか」

遊民の少年

 

 

 格子戸のついた車に押し込められて、気の遠くなるほどの時間が過ぎていった。

 篭の中に一人きり。外からの視線を避けるように、隅に縮こまっていたユアナは、格子の隙間から射す光が赤く染まり、深い藍色になる 頃、ようやくそろそろと足を伸ばした。

 明かり一つ灯らない、暗い篭の中。けれど今は、その方がいい。光が射せば嫌でも目に入る、両手を拘束する縛め。見れば余計、惨めにな る。

 真新月の夜には星の光さえ疎らで、闇に包まれた街道を、車はとぽとぽ進んでいた。まだ明るいうちには聞こえてきた、他の車の走る音 も、今はもう止んでいる。

 深夜───時間は分からない。けれど、彼女にとって、今は深夜以外の何ものでもない。

 

 一人きりでいるあのヒトも、こんな気持になったんだろうか? 

 

 疲れ切ってうつらうつらしながら、ユアナは考える。

 ここから抜け出したくても、その術はない。

 両の手を封じるいましめは、罪人としての確かな証。好きこのんで罪人を庇うものなど、いるわけもない。

 何より、この世界の導き手である”カンリシャ様”の命令は、絶対なのだ。それに背くことは、社会的な意味での抹殺を意味している。

 決して訪れることのない救いの手を、それでも彼女は待ち望まずにはいられない。全てを諦めたような笑みを浮かべながら、波の向こうを 見つめ続けた、あの少年のように。

 ケージの向こう側に確かにいるはずのギルド正規兵達は、一様に押し黙ったままだ。後どの位、一体どこまで連れて行かれるのかさえ、彼 女には分からない。

──……もう、どうでも、いいんだけど。

 ユアナはそっと溜息を吐いた。

 一度正規兵に目を付けられたら、逃れる術などありはしない。連れて行かれる先がどこであろうと、ろくな目に遭わないことだけは分かり 切っているから。

 眠気に押し負けながら、いつも見るあの夢さえ彼女を見放したように現れないことが、悲しくて仕方なかった。

 

 がたん。

 唐突に、それまでとは違う揺れがきてユアナは目を覚ました。格子から、暖かい色の光が漏れてくる。耳を澄ますと、気の緩んだ男達の声 が、幾重にも重なって聞こえてきた。

 酒場だ。すぐに、その音の正体に気付く。

 夜通し街道を進むものかとも思っていたが、今日はここで、宿を取るようだ。

 暖かい寝床を思ってほっとする反面、罪人めいたこの手錠を人目にさらすことが、急に恐ろしく思える。まだこんな歳の子供が、ここまで 厳重ないましめを与えられているとなれば、かなり好奇の的となるだろう。一体、何を言われることか。

 がしゃっと篭の錠を開く音がした。ユアナが扉を振り返ると、兵士は無表情で「出ろ」と、顎をしゃくった。

 恐る恐る、扉へと這っていく。立ち上がれない高さではなかったが、立ち上がる気力は、持ち合わせがなかった。

「きゃっ」

 ユアナが篭から顔を出そうとすると、待ち構えていた兵士が一気に腕を引き、固い地面へ転がり落とされた。バランスがうまくとれないせ いで、盛大にしりもちをつく。その彼女の上に、頭からばさっと大きな布がかぶせられた。

「つれていけ」

 一番偉そうな態度の男の、声が命じる。側に控えていた兵士は、二人がかりで布の上からユアナの腕を掴んで、強引に立ち上がらせる。両 腕を掴まれてしまっては、視界を塞ぐ布を動かすこともできない。

 ユアナは首を動かして、少しでも足元が見えるように布をずらそうとする。

「顔を見られるぞ」

 すると、左腕を掴んでいた兵士が小声で忠告してきた。その言葉にはっとする。

──それじゃあ、この布は、私のため……?

 その兵士が彼女にしりもちをつかせた当人であることは、声を聞けばすぐに分かった。わざと乱暴な振る舞いをしながら、実は彼なりに彼 女を気遣っているのかもしれない。そう考えると、ほんの少しだけ心が軽くなった。

 兵士達に導かれて宿のドアをくぐると、それまでの騒音が一瞬、嘘のように静まり返る。ギルド正規軍の闖入と、彼らに連行される自分が その原因だとは、痛いほどの視線が教えてくれた。これでもし、布という薄い膜がなかったら……

 ユアナは俯いてその沈黙をやり過ごした。

 もとがアルコールの入った状態なだけに、酒場の沈黙は長続きはしなかった。正規軍が自分達に特別何かするわけではないと理解すると、 すぐにまた、思い思いの話や食事に関心を戻していく。その内心に、正規軍のすることを詮索したくないという思いが隠されていることは、誰に指摘されるまで もなくよく判っていた。

「こ、これは勇敢なるギルドの守り手様方、このような宿に、ようこそおいで下さいましたっ」

 手揉みする音が聞こえてくるほどにへつらって、宿の主人は兵士達に近付いてくる。機嫌を損ねれば営業停止どころではすまされないか ら、彼も必死なのだ。

「お前がここの主か?」

「は、はいっ、左様にございますっ」

「ふん……遊民のガキ風情を客にとるのか……程度が知れているな」

 偉そうな兵士は、店を軽く見渡して、嘲るように言う。

「もっ申し訳ございませんっこ、このあたりには、他に宿はないものでっ」

 口調だけで、勢いよく何度も頭を下げる店主の姿が目に浮かぶようだ。

「まあいい。主、すぐに上等の食事を十人分、支度しろ。宿もだ。荷を置いたら、すぐ下りてくるからな」

「じ、十人分、でございますねっ?」

「ああそうだ。十人分だ。早くしろよ」

 食事という言葉を聞いて、ユアナは不意に、昼から何も口にしていないことを思い出した。厨房から漂ってくる、暖かい食べ物の臭いに、 腹が鳴る。

 しかし、注文した食事の数に、自分は含まれていないのだ。念入りに「十」という数を強調されて、悔しさで目が潤んだ。空腹を、知られ てしまったことにも。

 

「おっさん、そいつにもせめてなんか喰わせてやれよ」

 

 兵士にせかされて、店主がどたどた厨房に向かおうとするのを、酒場にはやや場違いな、若すぎる声が引き留めた。

 しぃ……ん。たったそれだけで、食堂の中は水を打ったように静まり返る。

「遊民風情が、口を出すことではない。これは荷物だ。お前の荷物は、食事をするのか?」

 怒気を抑えた口調で、偉そうな兵士は言い聞かせる。「遊民風情」……その兵士の言葉で、彼女へ同情を寄せたのが、先程引き合いに出さ れた「遊民のガキ」であることを知る。

「けっギルドマスターの威光をかさにきてるだけで、随分偉そうじゃないか」

 遊民の少年は、馬鹿にしたように言うと、テーブルの上に固いもの(恐らく、食事の代金)を置いて席を立ったようだった。

「貴様! 我々への反抗は、”カンリシャ様”への反抗だぞ!!」

「ふっ不敬罪で逮捕する!!」

 ユアナの周囲を固めていた兵士達も、少年の言いように激怒して身を構える。

「あ〜あ、もともと「遊民」ってのは、「カンリシャ」なんてかんけーない存在だろ? そんなのに、「不敬」も何もないよなぁ……」

 彼らの神経を逆なでるように、少年は呆れた口調でぼやいた。

 

 だだっ

 

 ユアナを囲んでいた兵士が、一斉に少年に向かって詰め寄っていく。入れ違いに、彼女の近くに誰かが降り立つ、気配がある。

「よっと」

 驚くほど間近で少年の声がした。少年がほんの少し身動きすると、ユアナを押さえていた兵士が力を緩め、床に崩れ落ちる。彼の腕に引っ かかって、ユアナの被っていた布は、兵士の上へずり落ちてしまう。

「何だ、まだ子供じゃないか」

 もう一人の兵士を倒し、その巨体から飛び退くついでに、少年はユアナをのぞき見る。

「貴様っ!」

 呆れたような少年の言葉に、残る兵士達は一層殺気立った目を、彼に集中させる。その中には、彼女に布を被せた当人も混じっていた。

 どうやら、彼女のためではなく、任務の一部として、連行する者を人目から隠そうとしていたようだ。一瞬人情に触れた気でいた分、 ショックは大きい。

「ったく、だからヤなんだよ! こういうやり方はっ」

 掴みかかる腕を、身を沈めてかわし、足払いをかけながら愚痴を言う少年。彼の動きは、思いもかけず素早いものだった。

「逃げるなら、今のうちだぜ?」

 兵士の手をかいくぐりつつ、離れ際、ユアナに耳打ちする。

 我に返って見てみれば、兵士達の意識は、この許し難い不敬者の、遊民の少年だけに向けられていた。

 彼が掻き回しているおかげで食堂の中は大混乱で、もともといた客達も、誰一人として隅にいる罪人などには目もくれなかった。皆、降っ て湧いた災難と、滅多にない娯楽を前に、浮き足立っているのだ。

 ユアナは意を決して出口へと向かった。縛められた両手で、どうにかドアをこじ開ける。

「あ、や、ヤツが逃げたぞぉ!」

 外に出た瞬間、店の中から声があがった。ユアナは慌てて、入り組んだ裏路地へと身を隠す。

 夜も遅いせいか、路地裏にはろくに人影もない。おかげで、ユアナは剥き出しの手錠を気にせずに走り続けた。土地勘など全くないから、 まるっきり出鱈目に角を曲がる。一度逃げ出した以上は、何としても捕まるわけには行かなかった。

 

 はぁはぁはぁっ

 

 空腹の上の走りづめで、あっという間に息が切れた。彼女が逃げ出した途端、遊民への関心はなくなったか、兵士達は総出でユアナを狩り に散ったようだった。或いは、もっとあり得ることだが、遊民の少年は片付けてしまった後なのかもしれない。

 ユアナは自分の想像に、ぞっと身を震わせた。いかに遊民とはいえ、彼女に手を差しのべようとしたことが、そもそもの原因なのだ。その せいであの少年が「片付け」られてしまったら……

 

「そっちはどうだ!?」

「小娘の足だ、まだ遠くには行っていないはずだぞ!!」

 

 通り一つ隔てたあたりに、いきり立つ兵士達の声が響く。気休め程度で建物の陰に身を潜めながら、ユアナの心臓はばくばく激しい音をた てていた。

──も、もうだめぇ、見つかる……

「ひゃっ」

 両手を固く握りしめてユアナが目を閉じたとき、急に背後から腕を引かれた。思わず漏れた悲鳴を、誰かの手が慌てて押し込める。

「こっちだ!」

 その誰かは、ユアナの耳元で囁くと、兵士達の隙を突いて路地から路地へと移動していく。引っ張り回されるユアナの方はもうふらふら だったが、彼はそんなことは気にしない様子だった。

「な、何……」

 「何なのよ!」と言いかけるが、息が上がって言葉にならない。いつの間にか、路地を抜けて別の大通りに出てしまっている。こんな見通 しのよいところでは、すぐ見つかってしまう!!

「いたぞ! あそこだ!」

 思った瞬間、もう兵士の声がした。

「このアマぁ、てこずらせやがって!!」

「きゃあっ」

 反射的に後ずさると、限界を迎えた足が縺れ、へたり込んでしまう。彼女の腕を掴んでいたはずの少年は、後ろの方でなにかがさがさする ばかり。

──もう、だめ!!

「よしっ」

 対照的に少年は、自信たっぷりの声を漏らした。何か、モーターのようなものが作動する音が、背後から聞こえてくる。

 そして、ふわっとユアナの身体が持ち上がった。

 

「ラ、RP!?」

 

 兵士は驚愕に目を瞠った。RP──ラウンド・プレートは、ギルドでも屈指の権力・財力を誇るマイスタークラスでなければ手に入れるこ とのできない、高価な装置だった。間違えても、たかが遊民風情にどうこうできる代物ではない。と、なると。

「きゃっ」

 ぐぅんと、急激に彼女のいる土台が動き出し、ユアナは慌てて近くにあった棒状のものにしがみついた。

「落ちるんじゃねーぞ!」

 頭上から少年の声がする。

 少年は、驚きのあまり硬直しているギルド正規兵を後目に、宙を浮く不思議なプレートで、街の外へと続く大通りを駆け抜けて行った。

 身体を吹き飛ばしそうな程に強い風。その感触を最後に、ユアナの意識は闇に沈んだ。

 

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