SCENE4:その夜明け

「もしかしてっあんた、アーマッド・ギルドの回し者でしょ!」

ユアナ・フォーチュナー

 

 

 

 

 ユアナの意識を呼び覚ましたのは、食欲を刺激する美味しそうな香りだった。

 温かい、スープ、肉の焼ける香り。

 ……何、もう、朝?

 ユアナは半分寝惚けたまま、目をこすろうと腕を上げる。

「何か変な夢見ちゃったよ……」

 言いながら、がちゃっという手応えに動きを止めた。

 

 ……夢じゃ、ない?

 

 その手を束縛するものは、ギルド正規兵に与えられた罪人の証。彼女が身を横たえているのも、ふかふかの布団ではなく、もっとごつごつ した硬いものだ。

 

「夢じゃなくて、悪かったな……」

 意識を失う前の状況を思い出し、溜息を吐くユアナの頭上から、むすっとした少年の声が降ってくる。

「え、わっ」

 続けて、毛布を剥ぎ取られ、ユアナは身をちぢこませながら目を開いた。

 眩しい。

 朝日が射す、草原。ハヤオキドリ達の、せっせと餌を巣に運んでいくシルエット。

 立派な細工物の手錠にも、目が行った。

「飯、喰わないのか?」

 少年は土を軽く払って、毛布を器用にまとめながら訊ねてきた。

 言われるまでもなく。空腹過ぎて、気持ちが悪いほどだ。

「あ、あの……」

「っと、邪魔だな、それ」

 もぞもぞ起きあがろうとし、無様に転げるユアナ。両手が自由にならないから、バランスがとれないのだ。

 その様子を見た少年は、呆れた溜息をもらし、ユアナの横に身をかがめる。

 ごく間近に、黒髪の、案外精悍な少年の顔。肌の色は少し不思議な黄味がかった色で、目は髪と同じ黒。そこまで見て、ようやくユアナは この少年の顔を知っていることに気付いた。

あ、あの時の、遊民!?」

 昨夜は逃げるのに必死で、何でもいいから差し延べられた救いの手に縋り付いていた。どんな相手でも、あの兵士達にもう一度捕まるより はマシ。そう、思ったから。

 けれど。

 

「あ、あ、あ、ああたしなんか売ったってお金になんないよっ! このとおりっギルドのお尋ね者だし。バラしても大して肉なんてとれない しっっっ」

 

 ユアナは声を裏返して叫いた。

 起きあがれもしないのに、根性でじりじり後ずさる。少年は一瞬彼女をぽかんと見つめ、

「ンなコトするかっ!」

ろくな身動きのできないユアナの頭を、思いきり(本人にはそのつもりはないのだろうが、ユアナの感じとしては思いきり)蹴飛ばしてくれ た。

「わぁっ」

 弾みで土の上を一回転。

「何するのよ!」

 くってかかろうとするユアナ。

 その腕を、少年はぞんざいな手つきで引き上げる。

「いいから貸せっ」

「けっ蹴ることないじゃない! ゆ、遊民なんて、やっぱりろくなもんじゃないじゃない」

「っさいよ、お前。へぇ、ほぉ、ふーん……なるほど、ね」

 ユアナの苦情などお構いなしに、少年は手元を覗き込む。

 彼女の手を縛める手錠を興味深げに検分すると、少年は、荷物の中から針金状のものを一束とりだした。

 

「な、何する気っ!?」

「……」

 少年はやはり彼女の問を無視して、慎重に、一本の針金を手錠の鍵穴(らしきところ)に差し込んでいく。

 そのやけに真剣な表情に、ユアナも思わず叫いていた口を閉ざした。

──まさか、そんな針金一本で細工物の手錠を?

 

 少年はまた針金を束から引き抜いて、今度は手錠に細工された溝の中に埋め込んでいく。その先端を、先程鍵穴に差し込んだ針金に絡ませ る。

「な、何っ?」

 ただほけっと少年の行動を見ていたユアナは、彼が何か半透明のシートを彼女の手首────手錠の内側に巻き付け始めたので声を上げ た。

 両手首、それから腕。隙間なく巻き付けられたシートで、両腕はひどく圧迫されている。薄気味悪いし苦しかったが、少年がしっかり彼女 を押さえているので、どうすることもできない。

 なのに少年は何も答えず、今度は小さな箱状のものを取り出した。

 そして──

 

───バシュッ

 

 激しい音と閃光に、ユアナは反射的に目をつぶっていた。

 少年がその箱を、針金に近づけた途端だった。

 瞼の裏にまで青白い残像が焼き付いていて、目が、ちかちかする。

 それでもユアナが目を開けたのは、腕のシートをペリペリ剥がされる感触があったからだった。

 こんなにすぐ剥がすぐらいなら、何故そんなものを腕に巻き付けたのだろう?

 

「あ……!」

 無意識のうちに、光の焼き付いた目をこすろうとして、ユアナは当たり前のことに感動した。

 

 手が、動く。

 

 持ち上げた片手だけが、顔に触れている。いましめが、解けている……!?

「ま、あんぐらいの細工なら、ざっとこんなもんだな」

 少年は得意気になって言った。

 手首に残るシートは黒ずんでいて、少年の手にはバラバラに砕けた手錠が乗せられていた。

 少年は、いつの間にかゴーグルをかけている。

「な、何が……」

 何がどうなっているのかわからない。

──あんな立派な細工物が、何故こんなにバラバラに? それに、さっきのあの光は一体……

「え? ああ。キーコード分かんなかったから、面倒だし壊してやったんだ。絶縁巻いてたし、火傷、してないだろ?」

「ゼ、ゼツエン?」

 なんのことかさっぱり。そんな顔で聞き返すと、少年は面倒くさそうに頭を掻いて、

「あ゛ーわかんないならいーや。それより、これで、飯、食えるよな?」

言いながら、ふとゴーグルの一部に軽く触れた。

「!!」

 ユアナは息を飲んだ。

 それだけの動作で、ゴーグルが跡形もなく消え失せたのだ。

 

 甦る、昨夜の兵士の言葉───「ラ、RP!?」

 たかが遊民風情が持てるはずのない、高額な装置。触れるだけで正規兵を倒した、不可思議な力。

「あ、あんた一体何者なの!? 細工物は簡単に壊しちゃうし、訳分かんない言葉いっぱい知ってるし、おまけにっ今のっ不思議な力!」

「え、あ、え〜と……」

 矢継ぎ早に問い詰められて、少年は初めて困ったように視線を宙に泳がせた。

 やはり、遊民の格好をしているとはいっても、ただの遊民というわけではなさそうだ。

 そういえば、話に聞くところによると、遊民は一人で行動することは滅多にないらしい。いつ何時、敵対する遊民に襲われないと限らない からだとも、イセキの夜は、得体の知れない化け物が闊歩する世界だからだとも言われている。

 同じ話で、遊民は、ギルドの女子供をさらって売り飛ばしたり、ばらして食料にするとも言われていたから、どれほどの信憑性があること なのかはいまいちわからないが……常識的に、一人で旅をするのは余程の命知らずか自信過剰かだ。

 なにより、彼女と同じ歳程度にしか見えない少年が、遊民として一人で生きていけるとは思えない。

 それなのに、酒場にも、その周辺にも、他に遊民らしき人影は見当たらなかった。

 だったら……

 

「もしかしてっあんた、アーマッド・ギルドの回し者でしょ!」

 ユアナはびしっと決めつける。

 リプトン・ギルドとアーマッド・ギルドの緊張関係は、反対側の境界付近にある彼女の村にまで伝わってきていた。

 少年がギルドの後ろ盾を持っているのなら、高価で不思議な装置をいくつも所有しているのにも納得がいく。遊民の格好をしていたのも、 見慣れない姿の彼が、リプトン・ギルド内のスパイと接触するためだと考えれば辻褄が合う。

 それなら、ギルド正規兵に連行される彼女を助けたのだって、納得できるではないか。

 

「……」

 

 ユアナは自分の推理に得意になっていたが、返ってきたのは呆れ返ったような沈黙だけだ。

「な、何よっ今更隠す気!?」

「あのなぁ。隠すも何もないだろ? 余所のギルドの回し者だったら、あんな目立つ真似なんてするわきゃないだろうが」

「あ……」

 あっさり読みの甘さを指摘されて、ユアナはびしっとつきだした指先をすごすご引っ込める。

「んなくだんないこと言ってねぇで、さっさと飯、喰えよな」

 少年は溜息を吐いて、散らばった残骸を片付け始めた。

 背を向けられてしまっては、話しかけようもない。そんな状態で言葉をかけられるほど、少年のことを把握してはいなかったから。

 

なんなのよ、一体

 ユアナは少年に聞こえないよう、ほんの小声で文句を言った。

「ん、なんか言ったか?」

「なっなんにもっ」

「なら、早くしろよ。ぐずぐずしてっと追っ手に見つかんだろ?」

「え?」

「逃げ出して、今更家になんて戻れるわけねーだろ」

「……」

「いいからまず飯! もう冷めちまったじゃねぇか!」

 しゅんとしたユアナに、少年はまた催促する。

 そういえば、彼女の手錠を外してくれたのも、そもそも彼女を助けることになったのも、食事のためだった。

 案外、まめな性格なのかもしれない。

 そうは思ったものの、訳の分からないまま一々指図されたことには、かなりむっとする。

「知らない人から、そう簡単に食べ物を受け取るわけにはいかないじゃない」

 だからユアナは、内心の空腹は知らぬフリで誤魔化して、目一杯不機嫌そうに言ってやる。

「俺だってお前の名前しらねーよ。命の恩人に名乗る名前もないってか?」

 しかし、あっけなく切り返された。

 確かに、恐ろしく強引ではあったが、彼がユアナを助けてくれたことには変わりない。まあ、正論だからこそ腹が立つこともあるものだ が。

 

「……悪かったわね」

「まあ別に、名前なんて個体時期別の手段に過ぎないし、名乗るのがいやだったらテキトーに呼ばせてもらうさ」

 むすっと呟くユアナとは対照的に、あっけらかんとした口調で少年は言う。

 荷物をてきぱきまとめながら、言葉通り早速ぶつぶつ名前を考え始める。

「花子……いや、とめ……そりゃババァの名前か。え〜と、とき……それじゃ天然記念物。う〜ん……」

 果たして、何割まじめに考えているのかは疑問だが。

 言葉の意味はよくわからないが、本当にテキトーな選び方であることだけはわかって、ユアナは頭を押さえた。

「……梅子って感じでもねぇし、桃……どこぞの熊みてぇだな……」

 ぷち。

「もういいわよ!」

 それでもしばらくは黙って聞いていたが、一向に路線変更する気のない少年に業を煮やして、ユアナは大声で彼の声を遮った。

「ユアナよっユアナ・フォーチュナー!」

 これ以上変な名前を持ち出されないうちに、更に大声で名前を告げる。その剣幕には流石の少年も目を丸くしたが、すぐに意味を理解する と、にやっと笑って

「ふ〜ん。ユアナ……“フォーチュナー”……ね」

 我が意を得たりとばかりに呟く。

──はめられたっ!

 それで初めて少年の意図に気付き、ユアナは地団駄を踏んで悔しがった。

 あんないい加減な名前を羅列したのは、彼女の口から本名を聞き出すため。

 はじめから、本気で名前を考えるつもりなどなかったのだ。

 

 


 

 

『定時連絡……UESHIMAからLACRAへ』

───定時連絡、確認。あのねぇ、定時って割に随分遅いんじゃないのっ?

『うるさいなぁ高内さん。こっちだって色々あるんですよっ』

───弘之のクセに偉そうじゃない。で? どうなの? 久々の故郷は。

『っていうか、予定ポイント大分ずれて降りてんですけど』

───あちゃーっそっちもなの!? どうやらロムも、そうみたいなのよねぇ

『これも歪みの影響なんでしょ? どうすんですか、この後』

───どうもしないわよ。むやみやたらといじくると、ますます歪みがひどくなるんだから。

『そうじゃなくて! 僕らのことですよ、高内さん』

───そんぐらいわかってるわよ。でも、答えは同じよ。ルートは自由、予定通りにファリューサ島に着いてくれれば何でもいい。ただし!  APは壊さないようにねっ

『わかってますよ、そんなこと。修理費も馬鹿にならないし、第一、三田さんに悪いですからねっ』

───かっわいくないなーっいいわよ、どうせそれ以外異常なかったんでしょっもう切るわよっ

───ブツッ 『ったく高内さんは……』

 


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