SCENE5:マイスター

「お前が凪ならそっちは風子だな」

チャーリー・ウィッタード

 

 

 

「それで結局……」

 出立の準備を進める少年の横で、串刺しにして炙った乾し肉をもぐもぐ咀嚼しながら、ユアナはそう言って溜息を吐いた。

 脱力感と空腹に負け、受け取ったスープは既に空になっている。

「あ?」

 少年はRPの脇でごそごそしていた手を止め、ユアナを振り返る。その顔は、機械油で薄汚れていた。

「それで結局、名前、聞いてないんだけど……」

 ごくん。

 肉を飲み下して不機嫌そうに言う。こんなことぐらいで懐柔されたとは、思われたくない。そこまで、単純じゃないと思いたかったのだ。

「あー、名前ね……」

 少年は困ったように頭を掻いて、すぐにまた、ユアナに背を向けてしまう。

 かちゃかちゃと、金属をいじる音。

「名前よ! あたしが話したんだから、そっちだって教えてくれたっていいでしょッ!?」

 ユアナは串を握りしめて少年に詰め寄った。植物製の串は、さほど頑丈には見えなかったが、無防備な箇所をつくのには十分な凶器だ。

 いい加減なことを言おうものなら、首にでも刺してやろうか、そんな気迫がある。

「…………」

 少年は殺気を感じたのか、再び手を休める。

 けれど、振り返ろうとはしない。

「……」

 ユアナは最後の肉片を囓り取って、剣呑な目つきで少年の反応を待った。

「……………………悪い…………」

「は?」

「悪い、生憎、今は名無しなんだ…………」

「はぁ?」

 少年は心底困ったように呟いて、ユアナを見、彼女の握る串にぎょっと目を瞠った。

「ッ! な、何だよそれっ」

「あんたがふざけて誤魔化そうとしてるから、刺してやろうかと思って」

「っっったく……ここじゃもう名乗りようないんだよ、冗談抜きで」

 からかっている様子ではなかった。

 少年は頭を押さえて深く溜息を吐いた。

 そう答えること事態、さも不本意そうに。

 そういえばこの歳でこんな高級なものを扱いこなしている―――ただの遊民でないとすると、何か、誰かとの契約上の制約でもあるのかもしれない。

 或いは……

「あんた……何かやらかしたわけ?」

 ユアナは一歩身を引いて、声を潜めて問いかけた。

 何かをやらかして追放になった身ならば、名乗れないのも道理。その場合、事と次第によってはユアナ自身の身の安全のため、早急に彼から距離を置く必要もでてくるかもしれない。

「何か…………そう、かもな」

 少年は苦笑しただけで、それ以上答えなかった。

 答える必要がないと思ったからか、それもやはり、答えられない事情があるからなのか。

──こ、こいつの事情なんて関係ないじゃないっ! 答えられないってんならその時点でアウトよ、アウト。

「そろそろ出発するか?」

 ユアナがぐっと拳を握って背を向けようとすると、少年は何事もなかったようにのほほんと訊ねてきた。

「何であんたと一緒に行かなきゃなんないのよ? あたしは一人で行くわっごはんありがと、ごちそうさまっそれじゃねっ!」

ッたく、どうして俺の周りってこんなんばっかりあつまンのかな……隣のギルドまでどん位離れてるか、わかってて言ってるか?」

 少年は小声で何かぶつぶつ言った後、ユアナの背中に問いかけてきた。

「かんけーないわよ! あんたにくっついてく理由なんてないだけでしょっ」

 怯えているんじゃない。ただ、得体の知れない相手と行動を共にしたくなかっただけ。

「こいつ(AP)に乗っても一日掛かり……子供の足じゃあ十日以上はかかるんだろうなぁ……」

 少年は脅すようなことを言う。

「い、いいでしょっどうだって! あんたには関係ないコトじゃないッ」

 十日以上という言葉にぐらつきながら、精一杯虚勢を張って言い返す。ここで言い負けたら、またずるずると彼のペースに引っ張られてしまいそうだった。

「関係……なくもないんだよなぁ」

「え?」

 ぼそっと言う呟きに、ユアナは驚いて少年を振り返る。やはり、彼はどこかのギルドの回し者で……?

 思ってから慌てて首を振る。

 そんなわけがない。仮にそうだとしたって、ユアナにつきまとう理由なんかにはならないはずだ。

 ただの小娘の、ユアナ・フォーチュナーに。

「結局俺のせいで逃げる羽目になったわけだし、こんな荒れ地のど真ん中に女の子放り出したなんて、戻ったらどれだけ苛められることか……」

戻ったら?」

 肩を落として溜息を吐く少年の言葉を聞き咎める。自分のことを話そうとしない少年が(ただ単に、話す時間も機会も少なかっただけなのかもしれないが)、漸く彼自身に関わる何かを洩らしたのだ。

 遊民であるはずの彼が「戻る」場所……そこに行けば、彼の名前や、RPや特殊な装置を使いこなしている理由も解き明かされるのだろうか?

「イヤ―――!?」

「何……!?」

 はぐらかそうとしているのかと思ったら、ユアナにも少年が口をつぐんだ理由が聞こえてきた。

 何かが、呻るような音…………そして、近付いてくる、土煙―――

 まさか!?

 それと似た音には、一度だけ聞き覚えがあった。

 ユアナはまじまじと、少年の背後のRPと、少年の顔とを繰り返し見つめる―――言うまでもなく、その音とはRPのモーター音だった。

ロム? イヤ、違う!」

 最早、肉眼でも確認できる距離に、そのRPは迫ってきていた。少年は慌てて残りの荷物と、それから、ユアナの身体を、自分のRPの上に放り込む。

「な、何すんのっ」

「行くぞっ!」

 抗議するユアナの頭を押さえつけ、少年はRPを作動させようとした。

 が……

「そこの二人待った!!」

 二台分のRPの作動音プラス距離に負けない大声で、RPに乗った男はそう叫んで寄越す。

「ッ!?」

 思わず耳を塞ぐユアナ。少年は振り返りもせず、コントロールパネルをいじりながら叫び返した。

「待てって言われて待つ奴がッ!!」

「いいから待てッ! エア……」

「ッ!?」

 唐突に、少年は動きを止めた。

「……? ど、どうしたのよ」

 びくびくして顔を上げるユアナを、少年はまた、片手でRPの床に押しつけてやる。

「動くなよ」

 ユアナに言い聞かせると、少年はRPを作動させたまま、その場に留めて声の主を振り返った。

「やっと止まったか……お前らだな、さんざんリプトンギルドの連中掻き回してくれたってのは」

「だったらどうした」

 もう一台のRPは、二人の乗ったそれの少し手前で停止したようだった。音でそう判断してから、ユアナは恐る恐る顔を出そうとする。

 一体、何者だろう?

 少年は、ユアナの頭を押さえつけて、不審そうに相手の男を睨み付けていた。

 警戒を解いていない。なのに、何故少年は逃げ出すのを止めたのだろう?

「おっと、その前に自己紹介と行こうか。そうすれば俺がお前らに文句言う理由、わかるだろうよ」

「文句!?」

「ああ、文句だ」

「何者だよ、あんた」

「だから今それ教えてやるっつーに」

 相手の男が苦笑したのがわかった。少年は目に見えて不機嫌になる。

 その様子を見て、ユアナは何かを思い出しかけた。何処かで、最近似たようなやりとりが…………

「俺の名はチャーリー・ウィッタード。アーマッド・ギルドの、楽器職人だ」

「ッ!!」

「ッッッ!?」

 二人は揃って咳き込んだ。まさか、本当にアーマッド・ギルドの人間が出てくるなんて……

 男―――ウィッタードは、盛大に溜息を吐きながら、二人のせいで散々リプトン・ギルドの連中にこづき回されたのだと愚痴り始めた。

「……大体、幾ら何でも遊民のガキに、こんな特上品ほいほい貸し出すわきゃねぇだろ?」

「……だから、何なんだよッ!? 追いついてきて、連中のところに連絡でもする気かッ!?」

 少年の言葉にユアナは身を固くした。

 そうだ。あの時は逃げ切れたけれど、今度は相手も同じRPに乗っている……振りきれる、はずがない。

 しかし、ウィッタードは軽い苦笑でその考えを蹴飛ばしてしまう。

「だーれがンなコトするかよ。大体、ホンモンのAPとサルマネのRPじゃ端ッから勝負になんねぇだろ? 逃げ切られてまた散々やられんのが関の山だぜ」

「ッ!?」

「AP……?」

「あんたッまさか……!!」

 耳慣れない言葉に首を傾げるユアナ。少年は血相を変えてRPの柵から身を乗り出していた。

──いや、RP……?

 ウィッタードはこの乗り物を指して、APと言ったような気がする。RP以上の性能を持つ物……そんな物が、もし本当にあるのだとしたら、もしそれが、今ユアナ自身が乗っているこの装置なのだとしたら。

「まあ、細かいことはおいといてだな」

 ウィッタードは、二人の硬直を物ともせずに、ごくごくマイペースな口調で話を逸らしてしまう。

「そんなもんに乗った子供二人なんて、ただの悪目立ちになっちまうぜ?」

「!」

 そうだ。

 あれだけ目立つことをした後。遊民風の少年と、同じ年頃の少女に不釣り合いな高価な機械……幾ら戒めを解いたとしても、逃げ出したのは自分達だと、宣伝しているようなものではないか。

 現にこうして、ウィッタードも二人に追いついてきている。

 

「だからな、保護者同伴ってのはどうだ?」

「は?」

 あっけらかんとした口調で提案された内容に、少年は思いきり間の抜けた声を返した。

「俺はこれでもかなり名の知れたマイスターでね。RPだったら何台も持ってるって、知ってる連中も多いんだわ。だから、俺の連れってコトにしちまえば……」

「そちら側にメリットがない。そんな話は信用できないな」

 一度崩してしまった後は、少年はごく冷静に戻って指摘した。やはり、一人旅をしているだけのことはあるのか。

「もちろん……条件はあるさ」

 ウィッタードは少しも慌てるところなく、そう言葉を返した。

「条件次第だ……事と次第によったら」

「心配すんなよ、ウ……」

「何だよッ!!」

 逆に、苦笑混じりで言おうとしたウィッタードの声を、少年は物凄い剣幕で遮ってしまう。初対面のはずなのに、ユアナよりよく、少年の正体について知るところがあるようだ。

 AP、それから言いかけた「エア」……これは、APの正式名称の一部なのだろうか? そして「ウ」……そこに繋がるのは、一体……

「ははん。そんなに焦るなって……俺はただ、カオリちゃんに会いたいなってだけなんだ」

「あいたきゃ勝手に会ってこい! ンなの条件でも何でもねぇだろっ!?」

 まただ。

 知らない言葉の響き。いや、何処か記憶の片隅に引っかかる名前ではある。

 ウィッタードと、少年とだけで分かり合っている会話。

 

 

「お前連れてった方、カオリちゃん喜ぶだろ? ちょっとした手みやげがわりにさ」

「人を手みやげにすんなよ。あいつがそんなん喜ぶわけねぇだろ?」

あたし、降りるッ

 ユアナは二人のやりとりを遮ってすっくと立ち上がった。

 全て、少年とウィッタードの間だけの交渉。知らない相手のはずだったのに、いつの間にか少年は知っている相手のようにウィッタードと会話し、ユアナには理解できないやりとりをかわす。

 第一、ウィッタードの指摘したように、ユアナと少年がいるというだけで、かなり、目立ってしまうのだ。それなら、もともと何の移動手段も持たないユアナが別行動をしてしまうほうが、捕まる危険性だって薄くなるはず。

 

「おい待てよッ!」

 しかし少年は、プレートから降りようとしたユアナの腕を掴み、彼女を引き留めた。

「こんなところにお嬢ちゃんを置き去りにするほどの根性無しだったら、とっくの昔に俺達が捻り潰してるよなぁ?」

 ウィッタードの混ぜっ返すような声。

「だったらその前に死んでるから安心しなよ、おじさん

「放してよ!」

「だから待てって。何も持ってないで歩いたってすぐ死ぬぞ? ここいらは……」

「ああ、300年前の爪痕が、まだ残ってる危険地帯だからな……」

「!?」

 少年とウィッタードは、申し合わせたように一つの台詞を分け合い、頷きをかわす。

 300年前の爪痕──それは、RC以前の大消失を示している……

 ユアナは暴れるのを忘れ、少年と、それから、初めてウィッタードの顔を見つめた。

「カンリシャに気に入られた、有能なマイスターの何人かずつには、かなり正確な、大消失の状況が伝えられているのさ……」

 その視線を問いかけと捉えたか、ウィッタードはユアナにそう付け足して聞かせた。

 マイスター──カンリシャ様の補佐役ともなる、優れた技能を伝える者。本当に彼がその一人というなら、それを知っていても不思議はないけれど。

 それなら、何故少年は……?

「わかった……その代わり、会うだけだからな」

 少年はユアナの視線をかわすように、ウィッタードを振り返った。ウィッタードは肩を竦め、

「ま、それ以上のコトなんて、こっちからお断りだけどな」

唇の端を持ち上げるだけの笑みを返す。

 その表情を見れば、彼にとってその「カオリ」という相手がどんな存在なのか、わかるような気がした。

「……そういうことだから、降りるのは無しな」

「え?」

「やっぱ道中にも華は必要でしょう。何よりカオリちゃんと宜しくやろうって時に、ぼーやに突っ立ってられたんじゃ、ムード台無しだろ? って、名前ないの辛いな……」

 見るからに相好を崩して言ったウィッタードは、途中から面倒そうに顔を蹙める。何を言わなくても、少年の名前を、「名乗らない」のではなく「使えない」物として理解しているようだった。

「……何なのよ、一体……」

 文句の一つも、言いたくなる。

 ユアナはふてくされた顔をして少年の手を振りほどいた。

「あつっ!」

 

「おっじょうちゃ〜ん、どんな名前がいいと思う?」

「はぁ?」

 顔を上げると、人の良さそうな、それでいて食えなさそうな、ウィッタードの笑みがあった。

 リプトンやアーマッド・ギルドに多い亜麻色の髪に、珍しい、灰がかった緑色の瞳……極々軽い口調とは裏腹に、落ち着いた、深い思いを持つような輝きを持っているように見えた。

「そうだな、ここに来てまっとうに口きいた初めての人間だし。お前、決めろよ」

 無理矢理ほどかれた腕をまだ振りながら、少年もウィッタードの提案を受け入れた。彼自身の呼び名を、ユアナの判断に委ねようと―――

「……じゃ」

 ユアナはくだらない名前を列挙してやろうとして、ふと、 少年の立ち姿に口をつぐんだ。

 初めて見る、ただ立っているだけの少年。その姿が何処か、大切な記憶を思い起こさせて……

 

 

「凪…………」

気がついたら、ぽつり、呟いていた。

 

 

「あ?」

 少年は怪訝そうに聞き返す。

 ウィッタードも、声こそ挙げなかったものの不思議そうにユアナを見返していた。

「凪、よ……」

 ユアナは溜息を吐いてから繰り返した。

 とても大切な名前。まさかこんな少年のために使うなんて、自分でも信じられない。

「凪、か……」

「凪、ね……」

 少年とウィッタードはそれぞれの表情でそれぞれにその名前を反芻した。

 複雑そうな表情の少年に、悪戯っぽい笑みを浮かべるウィッタード。

「よく、そんな言葉を知っていたな、お嬢ちゃん」

「この言葉だけ……何か、響きが好きで……」

「凪……」

 少年は、何故か、噛み締めるようにその言葉を繰り返す。

「お前が凪なら、そっちは風子だな」

「嵐(ラン)の間違いだろ?」

 しかし、ウィッタードがまたさらっとした口調で続けると、少年も苦笑して混ぜっ返しを重ねた。

 混ぜっ返したのは、わかる。

「??」

 だが、その言葉の意味が分からず、ユアナはきょとんとして二人を交互に見た。

「風子は風の子と書き、ランは……嵐。どっちも、凪と同じミツイ・ギルドの……言葉だな」

「!!」

 付け加えられたその意味に怒るより、ユアナは少年の台詞の中に含まれた単語に気付き、目を瞠った。

 ミツイ・ギルド!

 少年の容姿と酷似した外見が特徴の、遥か東にあるギルド。

 「カオリ」という言葉に覚えがあったのは、そのカンリシャ様の名前が、「カオリ・ミツイ」といったからだ。

 マイスタークラスが会いたがるような相手──それも、お尋ね者を匿って連れ歩くリスクを犯してでも、特別な手みやげを持参して、会いたいような相手……

──カンリシャ様と、同じ名前…………

 それなら、RPさえ目じゃない高価な装置を操り、マイスタークラスと気負いもなく会話し、カンリシャ様を「ギルド・マスター」と呼び、特別な手みやげ足りうるこの少年は…………!?

 

 ユアナは、蒼白になって少年―――凪という呼び名を得た、道連れの少年を見つめた。

 


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