成り行きとはいえ「彼女のために」テニスをやろうという涼二の発言を、淳はどう捉えたのだろうか。未だテニスに未練があると、気付かれてしまえば、また気を遣わせる。

 それが嫌で、ずっと平気な振りをしていたのに。

 

 涼二が章介を引っ張っていってしまったから、園花は淳と取り残される。

 

 

 

 

I wish your simple smile

 

 

 

 

「すごい行動力……」

 ぽつりと園花は呟いた。

 顔なじみらしい公園の管理人から、あっさりと必要な道具を調達してきて、もう、組み合わせ決めを始めている少年の背中に、感心しているような目を向けて。

「うん」

 それに応じる淳の言葉も、また、短くて小さい。

 言いたい事や聞きたい事はいろいろあるだろうに、淳は問い詰める視線さえ、彼女に向けない。

 多分、待っているのだろう。

 園花が自分から、すべてを話すことを。

 そして、それをいいことに彼女が未だ沈黙を保っているのは、結局彼に甘えているのと同じことなのかもしれない。

 それでも、園花には、それを話すことができなかった。

 

「……」

「…………」

「…………」

「……」

 言葉の代わり、沈黙が、二人の間を支配する。

 彼の方を見なくとも、園花には、淳が今、少し困ったような(それでいて穏やかな)微笑を浮かべていることがわかる。

 こんなとき、幼馴染という関係は、とても便利で、とても不便だ。

 相手の反応が簡単に予測できるから、却って、誤魔化しの言葉も出せなくなる。

 

 

 たたたたたっ

 

 結局、状況を打開したのは、行動力抜群の、淳の友人達の方だった。

 

「あぁ、組み合わせ、決まったの?」

 再び章介を伴って(というより、今度は章介に伴われて)やってきた涼二に、淳は薄い笑みを向ける。

 それにしては、他の二人の言い合いがまだ続いていて、ゲームを始めるような雰囲気ではない。

 園花が首を傾げていると、

「いや。そうじゃなくて……」

歯切れ悪く、言葉を切る涼二。

 代わって章介が、どこか淳と似通った笑みを浮かべ、

「園花ちゃんは、何かやりたいことがあったんじゃないかなって、それが気になって」

「あたしが……やりたいこと?」

視線を向けられた園花は、少し掠れた声で聞き返した。

 

 

「そう。テニスを見たいっていう気持ちも確かにあるんだろうけど……忙しいんでしょ? それでもわざわざこっちに来るほど、本当にやりたいことが、何かあったんじゃないの?」

「俺達でできることなら協力するよ〜」

 頷いて、章介はたたみかけるように言った。

 そしてそれとは好対照に、人好きのする笑みで、まっすぐ園花を見てくる、涼二。

 

「あたし……が…………」

 園花は初めて、顔色を伺うように淳を振り返った。

 彼の居場所をひとつ奪ってしまった彼女が、今更、これ以上の何を望めるというのか。

 せめて最後に、淳の元気な姿を記憶に留めたい、そう思って、彼らを連れ出したはずなのに、目の前に突きつけられると、心が揺らぐ。

 ずっと、夢中だったもの。

 好きだからこそ、目を、逸らしていたもの。

 

「大丈夫……言っていいよ」

 淳が浮かべたのは、温かな笑みだった。

 

あたし……

 それでも、園花は心を決めかねて、ぎゅっと拳を握り締める。

 喋らずにいること。

 それだけを思っても、すでに彼に甘えているのに?

 

 彼を傷つけた、あの日に立てた誓いは、もう既に一つ、最悪の形で破ってしまった。

 そんな彼女が、やすやすと「それ」を口にするのは、許されないことのような気がして。

 

「どうしたんだよ?」

「俺は絶対兄貴となんか組まないからな!」

「その話は多分お流れだよ」

「「??」」

 言い争いを続けていた、悠也と雄介も、彼女たちの様子に気付き、近寄ってきたようだ。

 やんわりと応じる章介の台詞に、話の見えていない二人は顔を見合わせる。

 

 多分、章介は薄々と何か感づいている。

 涼二だって、彼なりにいろいろ考えて───つまり、園花のことを真剣に気遣ってくれている。

 それは、園花にもわかっている。

 いつまでもはっきりしない態度を続けることが、彼らの厚意を踏みにじることだとも。

 

あたし……は……

 

 

「借りるよ」

 淳が雄介の手からラケットを抜き取るのが、園花の視界の隅に入った。

 

 

「え? 先輩?」

 虚を突かれた表情で、いぶかしげに淳を見つめる雄介。

 

 

 ぽーん、ぽーん。

 

 淳はボールを弾ませ、その弾力を確かめにかかった。

 

 

 

 やはり彼には、見抜かれていたのだ。

 聡い彼が、気付かないはずはない。

 

 

 それなら、意地になって「それ」を否定するほうが、彼をより傷つけることになるのかもしれない───

 

 

 園花は覚悟を決めるように、息を深く吸い込んだ。

 

 

 

あたしは、もう一度テニスがしたい

 

 

「「「えっ!?」」」

「もう一度?」

 彼女の答えを待ちかまえていた一同は、驚きに声を揃えた。

 一人だけ園花の台詞を繰り返した章介は、ある程度彼女の望みを予測していたらしい。

 

 

「菊川、そのタイ、貸してくれない?」

「えっ?」

 マイペースに準備を整えていた淳が、涼二に向けて、ラケットを持たない左手を差し出してきた。

 

 

 涼二の目は、その淳の手のひらに釘付けになる。

 そして、園花は顔を強張らせて友人の名を呟いた。

 

 

「そんなのまだ大したことないって。右「悠也!」

 肩を竦めて言いかけた悠也の言葉を、淳は肘打ちと視線とで封じ込める。

 

 

大したことじゃないから。それより、良い?」

「え、あ、うん」

 その眼力に気圧されて、涼二は「ほい」とラフに締めていたタイを淳に差し出した。

 その間中、園花の目は、故意に皆の視線から遠ざけられている淳の右手を追いかけている。

 

 

 左手よりも右手の傷のほうが、酷かった。

 

 そんなことは、悠也に指摘される前から知っている。

 

 その傷をつけたのは、他ならない、園花なのだから。

 

 

「雄介、審判よろしく。悠也、涼二とコート入って。園花、ラケット持ったの?」

 淳は有無を言わせぬ勢いで指示を飛ばし、受け取ったタイを無造作に額に巻きつけた。

 

 

 どうして彼がそんなことをするのか───知っている。

 左手だけではなく、右手だけではなく、そこにも、未だ引き攣れた傷跡が残されているということ。

 

「淳、あたしやっぱり……」

 章介が、目の前にラケットを差し出してきていることには気付いていたが、園花は強張った表情のまま、淳の横顔を見つめていた。

 

 

 罪悪感が胸を締め付けて、とても息苦しい。

 

 

 たとえ彼が許すと言ったとしても、園花自身が許さない。

 彼女の犯した罪の爪痕は、消えてなくなることがないのだから。

 

 

「くすくすっ。今更怖気づいたの? 大丈夫、園花の実力を想定して組み合わせたから、まともに打ち合いできるよ」

「淳っ!」

 彼女がなぜまたそんなことを言い出したのか、わかっているのだろうに、淳はわざと茶化す言い方をした。

「僕なんかと組むより、那須とかと組んでみたい気持ちも解るけど、ワンゲームくらいは付き合ってくれるよね」

 いくら抗議しても、淳ははぐらかすように笑うだけで、園花の言葉を続けさせようとはしなかった。

 

 それが、彼の優しさだった。

 

 園花は、ならば、自分の持てる力を出し切って、彼の思いに恥じないゲームをしよう、とラケットを握り締めた。

 

 


BACK HOME NEXT

 

 

 

(030519)→(051023)修正