漸くに得られた平安は、ひどく簡単に崩れ去っていく。
「あたし……あたし……は……!」
「わかったから、園花。僕が説明するから、違ったらそう言って」
近くのビル、その電光掲示板に走るニュースに気がついたのは、章介。
迫るタイムリミットに怯え、そして電光ニュースがあらわす「事件」のいきさつを、言葉に紡ぎ出せずにいる、園花を宥め、彼女の代わり、淳は静かに語り始めた。
「───だから、園花は、東京にいる知り合いの中でも、僕のところに逃げてきた」
「……」
「……んだよ、それ!」
淳が口を閉ざすと、黙って話を聞いていた一同の中から、憤りに満ちた声があがった。
園花が故郷で孤立していった事情、事務所の過剰な演出を嫌がっても、そこに留まるしかなくなってしまった事情、その結果もたらされたプロデュー サーとの「トラブル」───全てを直接見聞きせずにも、電光掲示板に流れた短いニュースだけで、園花が今ここにいる理由を、淳は理解したようだった。
だから、彼が話した内容に園花が口を挟む必要もなかった、事情を明かすために、淳がその額の傷を曝け出した時以外には。
「そんな顔、しないで欲しいな。凄そうに見えるのは見かけだけなんだから」
改めて見た傷跡の惨さに顔を歪める園花に、淳は苦笑と穏やかな眼差しをくれた。
そして、園花がその力で人を傷つけたことを、咎める事も詰る事もなくただ、憂いのこもった目で語り───その友人達は憤った。
彼女を、そうしなければならない状況へ追いやった周囲に対して。
「これからどうするのか、当てはあるの?」
弟と同じ憤りに表情を硬くしながら、それでも随分と冷静に、章介は訊ねた。
ただその場所を逃げ出しただけでは、何の解決にもならないことをわかっているのだろう。
園花はSONOKAとして有名になりすぎていて、そしてまた、まだ義務教育も終えていない子供に過ぎなかった。
「彼女の身柄は、我々が預かります」
すぐには答えられない園花に代わり、第三者の声が章介に応えた。
唐突に現れた第三者───スーツ姿の若い男は、目を瞠る少年たちの脇をゆっくりと通り過ぎ、園花の前で足を止める。
「お別れは十分に済ませましたか? もうあまり時間が残されていない」
身長差を考えたように身を屈めて、男は彼女に問いかける。
「もっと時間をあげられれば良いんだけどね、その人形の効力もそろそろ切れてしまいそうだから」
「っ」
園花にだけ聞こえるように告げられた言葉で、彼女はこの男の正体を確信した。
それは、不自然とも思えるほど唐突に、彼ら(話しかけてきた男以外にも、揃いのスーツを身につけた男たちが、いつの間にか園花たちの周りを取り囲んでいた)が現れた時点で、予測済みであったのだけれど。
───松岡綜合事務所 警備保障事業部長 松岡丞羅
男がちらりと覘かせた手帳には、そんな肩書きがある。
つまり、彼らが相良祐子の───松岡祐羅の寄越した迎えなのだ。
もう、タイムリミット。
それならば。
園花は手の甲でごしごし顔を拭うと、振り返り、淳の額に手を伸ばした。
「せっかくのいい男、台無しにしてゴメンね。両手も……淳があたしの気持ち気にしながらテニスしてたの、知ってる」
「僕はテニス、一生止めないよ。だからいつかまた一緒にプレイしよう」
淳はクスリ、笑みを見せ、涙の残る園花の目元をそっと拭う。
園花はそれから、今日の時間を共に過ごした一人一人にも、別れの言葉を告げた。
共有したのは、ほんの僅かな時間でしかなかったけれど、それはとても大切で、かけがえのないものであったから。
「みんなに会えたからわかった……あたしはあの時、どこに行っても、何言われても、大好きなテニス選べば良かったんだって
有り難う。
あたし、行くね」
最後に全員に向けて言葉を伝えた園花は、丞羅に頷いて、淳達に背を向けた。
「彼女は……園花ちゃんはどうなるんですか?」
丞羅に導かれ紛れたスーツの人垣越しに、園花が最後に聞いたのは、章介のそんな問いかけだった。
(031002)→(051023)修正