「……今回のことは明らかにこちら側の不手際ですからね。もう少ししっかりとした策を練らないと……」

 そんな声を聞きながら、私は意識を取り戻した。

 うっすらと目を開けると、見覚えのある天井。そこはどうやら、支部の一室のようだった。

 どんなことになっているのかと思って身を起こそうとすると、まだ声変わりしきってない少年の声が、すぐ近くで聞こえた。

 

「あ、気が付きましたか」

 三田君が振り向いて、私の方を見ている。

 その向こうには、洗面器とタオルという組み合わせ。三田君とタオルとは、何かと縁があるようだ。

 

「どう……ったの……?」

 無理矢理かすれた声を絞り出す。のどの調子は、まだだめみたいだ。

「えっと、あの……」

「青木君が、手を貸してくれたんですよ」

 言葉を詰まらせる三田君に変わって答えてくれたのは、コードレスホンを置いた梁前さんだった。

「……高さんが?」

 聞き返すと、梁前さんは無言で頷いた。高さん──青木高さんというのは、支部の能力者の一人で、狙撃手としての認定を受けている、私の一つ上、高校三年生だった。私も以前サポートしたことがあって、それで彼のことは知っていた。

 その高さんの力は、私と同様、言霊を用いたものがメインだったと記憶している。(何しろ、いつか学校のバトルで用いていた術力誘導の荒技は、彼に習ったものなのだから)……とすると、あの繭を仕留めたのは、高さんだったのだろう。

 

 それにしても、何故……?

「浅黄区付近の警戒指定が、今日の13時29分に、変更になったんです。青木さんは、そのことで支部長のところに」

「まさかこんなに早くあの現象が起きるとは思いませんでしたし、油断していたせいで、沖野さんにも迷惑がかかってしまいましたね」

 声に出さない疑問に答えてくれた三田君の言葉を引き取って、梁前さんはそう続けた。

「い、いえ。私の方こそ……」

 油断していました、と頭を横に振る。

 どんな理由であれ、対処しきれなかった私自身にも十分な責任はある。それを、忘れてはならない。

 それと同時に、三田君の台詞が引っかかってもいた。

「警戒指定の、変更?」

 梁前さんは、浅いため息をついた。

 ため息をついて、肩をすくめながら教えてくれる。

「本日、13時29分35秒’22を持って、浅黄区全域、及び隣接する各区の一部が、2級警戒区域に指定されました。……チームプログラムの、始動です」

 チーム、プログラム。普段は便宜上区切られているのに過ぎない、複数のコンビの集合体が、全てまとまって各事件の処理を行うようになる。

 ホールポイントの増加の時も、チームの発動に関わる話を聞いたような気がするが、それでは、その施行が遅れたことを、「油断」だと言ったのだろうか?

 

「そろそろ、事後処理に行っていた方々も戻ってきます。少々話し合いをしなければならないかと思うのですが、どうしますか?」

 どうすると言われても。私は訳が分からず、返答しようがない。

「まだつらいようでしたら、無理しないでそのまま休んでいてください。ずいぶんと力を吸い取られていたようですから」

「大丈、分、です」

 結構怠くはあったけれど、そんなことは言ってられない。具体的に、どのようなメンバーが私の属しているチームにいるのかも知らないし、沙霧の前で弱みを見せるのは嫌だった。

 

 ドアがノックされる。

 入ってきたのは高科さんと高さん、少し遅れて、沙霧と浅沼少年だった。

「お疲れさまでした。礼紀君、済みませんが、多田さんを呼んできてくださいませんか?」

 梁前さんは、彼らに向かって言い、三田君に向き直って続けた。パートナーである沙霧ではなく、高さんと高科さんが、まず心配そうに近付いてくる。

「大丈夫ですか? 無理しないで、もう少し横になっていてください。話なら、そのままでも聞けますから」

 こう言ってくれたのは、高科さん。高さんの方は、言葉には何も出さなくて、ひたすら心配げな視線を向けてくる。

「もう、大丈夫です。有り難うございます。高さん? 今日は、危ないところを、本当に、どうも有り難うございました」

「そんなこと! 本当、無事で良かった。一人で起きあがれるか?」

 高さんは身を起こそうとする私に手をさしのべてくれる。こんなところは、以前と変わりない。

 私は、高さんに支えられてゆっくりと起きあがった。

 

「それでは、簡単に、事態のおさらいをしたいと思います」

 いるべき人数が状態を整えたのを見て、梁前さんはそう口を開いた。

 多田が来て、私の左隣に腰を下ろす。いつもなら反対側に沙霧がいて、得体の知れないエネルギーの衝突の中心が、丁度私のところになってしまうのだけれど。沙霧は、何故か多田からも遠ざかる位置に腰を下ろして、静かに梁前さんの話を聞いていた。

 梁前さんは、ホールポイントの増加のこと、警戒レベルの変化のことを説明し、ついで、今回起きた、時間的には警戒レベル指定後の、塾で発生した事件のことについて述べた。

 

「チームプロジェクト始動と言っても、うちの支部は元々まともな戦力が少ないですからねぇ」

  私の知っている限り、この支部には、戦闘能力を備えたコンビがあと三、四チーム分ぐらい。なまじ中途半端な一般(無所属の)能力者の多かったせいで、それ 以上増やす必然性もなかったのだ。多田に関する支部の回答が遅かったのにも、恐らくそれが関係していたのだろう。エージェントが手がけなくとも、それで事 態が片づくのならそれで良い。しかし。

「やはり、能力者の発掘には、もっと力を入れた方がい いでしょうね。これからは、力の弱い方ばかりではなく、ある程度の能力を持った方であっても、単独行動は危険になるでしょうし。万が一、その、力の強い能 力者が、奴らに取り込まれでもしたら厄介です。現在わかっている能力者とその能力の現状についてなども、きちんとリストアップして、把握しておく必然性が あるでしょう」

 私が考えていたとおりのことを言ったのは、高科さんだった。

  実際に「取り込まれ」かけた私自身として、そのことは非常に気がかりだった。あの、ねっとりとした闇の中で、少しずつ生気が失われて行く悪夢。私が何とか 助かったのも、高科さんが機転を利かせて高さんに連絡を付けてくれたからだ。脳裏に浮かんだ般若心経も、何のことはない。彼らが、力を送るために外で読み 上げていてくれただけのことだった。

 ……つまり。

 エージェントに所属していない能力者が同じような目にあっていた場合。99パーセントの確率で、取り込まれ、逆に我々の驚異となっていただろう。

 

「梁前」

「……はい」

「例の能力者は?」

「すぐにでも使えますよ。そのことに関しては」

 梁前さんの返事に、高さんが頷く。

 ちょっとした、違和感。

「任せる。……それから、鍛え直すぞ。覚悟しておけ」

 高さんは途中から全員に向かって宣言した。浅沼少年などは、「うげっ」と露骨に嫌そうに顔をしかめる。

 

「次弘君、何です? その顔は。……青木君、あちらの話も、忘れないでくださいね」

「わかっている。そのかわり、高科は返してもらうからな」

「勿論、よろしいですよ」

 二人は、互いに怖い微笑を浮かべた。周りの者が入り込めない冷たい空気が、二人の間に渦巻いている。

 

 

 ややあって、梁前さんは言った。

「商談、成立しましたね」

 

 

 緊張が、ほどけた。

 高さんはソファから立ち上がり、ドアの方へ歩き出す。高科さんもその後に続いた。

 二人の姿がドアの向こうに消えた時、隣で、三田君が細い声で呟いた。

「どうなるんでしょうね、これから……」

 私達は、不安そうに梁前さんを見上げた。多田でさえ、その表情を隠さない。

 けれど、涼やかな瞳は、ただ静かに私達を見返して来るばかりだった。

 

 

 

 

 


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