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そのときの私は、丁度コーヒーカップをソーサーに戻すところだった。
昼下がりの喫茶店。地下鉄の駅の真上にある、安いコーヒーの店だ。
とは言っても、ここは警戒指定がレベルアップした浅葱区ではなく、自宅のある和泉区の駅。“鍛え直す”という高さんの一言から確定してしまった強化合宿が、今日から始まる。
仙寥市内の各所に、幾つかにグループ分けされた能力者達が集められ、コンビネーションや能力の訓練が行われるのだ。
私の所属するチームには、他に梁前さんや三田君達もいる。それで、浅沼君を護送(!)する梁前さんの車に、便乗させてもらうことになり、この場所で待ち合わせをしていた。
だから私は、背後から近付く気配が、彼らのうちの誰かだろうという見当をつけて、立ち上がろうとした。
けど。
カウンターのすぐ隣の席に腰を落ち着けたのは、髪の長い、何処かで見たことのあるお姉さんだった。
「沖野、さん。じゃない?」
椅子に座るなり、彼女はこちらの顔を覗き込んで尋ねてくる。見間違いじゃ、無いみたい。
私は軽い驚きを感じながら、肯定の意味で声を上げた。
「……藍子、さん?」
そこにいたのは恐ろしい偶然で知己となった、沙霧藍子さん。
「ど───うしたの、その荷物。まるで家出みたい」
私の足元に目を留めて、藍子さんはそう言った。
黒と蛍光紫を基調としたボストンバッグは、封鎖区域の増えた仙蓼市内ではかなり目立つものだ。
「え、えぇと。その……」
この場合、なんて説明すればいいんだろう。まさか本当のことを話すわけにもいくまい。いくら偉大なるパートナー殿・沙霧要氏の実の御姉様だからといって。
「冗談よ、冗談。まあったく、要なんてろくに反応も返さないのに。いいなあ。こういう妹がいればよかったのに」
返答に窮した私に対して、あっさり藍子さんは追求をやめる。
でも、藍子さんって一体……
私は思わず頭を押さえた。
どうも沙霧は家でもあんな態度を崩さないようだが、それにしたって……お姉さんの藍子さんも……ったく、兄弟揃っていい性格してるよぅ。
「あら、私本気よ? ねえ、うちのあの要と交換しない? あの人(あね)を人(あね)と思わないような奴なんていらないから、沖野さんみたいな妹がほしかったな」
真顔でそんなことを言われてしまっては、もう苦笑いもできない。
「あ、あは。何言ってるんです、藍子さん……」
「あ、でもそれじゃあ、沖野さんの御両親に迷惑がかかるわねえ。うーん……」
「……真剣に悩まないでくれませんか?」
「! それもそうね。それにしたって、どうして要はあんなやな性格に育ったんでしょうっ。せめてもう少しぐらいガキっぽさがあってくれたらいいのに……」
失敗した作り笑いのままに突っ込めば、藍子さんは落ちかかってくる髪を掻き上げながら、本当に困ったようにテーブルを見つめた。
今更どうしようもないんじゃあ、とか思いながらも、その仕草はまさに悩める美女そのもので、私は思わず見とれてしまう。
「沖野の姉ちゃん」
そこに、聞き知った声がかかった。
今度こそ、振り返ると、ラフな格好の小学生が、半ズボンのポケットに両手を突っ込んで立っている―――問題の浅沼少年だ。
「あ、ごめん。もう時間?」
「まだ三田さん来てないけど。俺、梁前さんと二人で待ってんの嫌だもん」
なるほど。
彼が言うと、妙に説得力のある言葉だと思った。
浅沼少年は言いたいことを言ってしまうと、再び店の外へ端って行ってしまう。
私と一緒になってその背中を見送っていた藍子さんは、ふと私に視線を戻して言った。
「ごめんなさいね。くだらない話につきあわせちゃって。沖野さんぐらいしか判ってくれる人いないから」
「いえ、あの、こちらこそ慌ただしくしちゃって」
「そんなこと! 引き留めちゃ悪いわね。今度何か奢るわ」
言葉を換えれば「またそういう話しましょうね」と言うこともできる台詞を背中に聞いて、私はそれじゃあ、と浅沼君の後を追いかけて行った。
某コンビニとレンタルビデオのお店の中間の、道路沿い。
メタリックシルバーの車に寄りかかっている浅沼少年を、すぐに見つける。
近くにある大手スーパーの陰からは、荷物を抱えた三田君も近付いてくるところだ。
車のトランクが開いて、身を乗り出して何事かを浅沼少年に言いつけている、梁前さんの秀麗な顔が、助手席のドア越しに見える。
視線が合って、私は歩きながら軽く会釈をした。
使用素材配布元:LittleEden