せっかく整理して部屋の中を落ち着けたばかりの荷物を、大きなバッグに詰め込みなおして、私が仙蓼支部の施設を後にしたのは、それから十日後のことだった。
平日だったせいもあって、見送りは梁前さん一人。
警戒指定の変更で閉鎖一歩手前の仙蓼駅ではなく、隣の副嶋県の新幹線ホームまで、ちょっとどころではないドライヴ。
「向こうの駅でも、誰か待っているはずですから、安心して下さい。向こうの理事の話では、施設の中に同じ年頃の研修生も何人かいるらしいということなので、きっと退屈はしませんよ」
さんざん取り留めのない会話を繰り返しつつ、もう少しで駅に着くという頃になって、梁前さんはさらっとした口調で言った。
って、あっさりした言葉の割に、その実仁津穂支部の幹部と繋がりがあるってアピールされた気がするなぁ……
だって、梁前さんや高さんが仙蓼支部の実力者だといったって、それはあくまで裏でのことなんだから。人事部に在籍していたことだって、仁津穂支部に五人しかいない理事と繋がる要因になったとは思えない。
なら、どうやってそんな気安い知り合いにまで、こぎつけたんだ?
疑問の浮かぶ一方で、この人ならそれもあり得るのだろうとも納得してしまう。
まあこの場合、梁前さんが言いたいのは「だから安心して行ってらっしゃい」ということなんだろうけど。
私はただ「はあ」と頷くぐらいで、停車してしまった以上は、それまでなるべく見ないようにしていた紅顔に向き合わなくちゃならないな、など全然関係ないことを考えていた。
「忘れ物は、ないですか?」
キーを回し、エンジンを切りつつ確認する、最早見慣れてしまった美貌の主。
「大……丈夫です、多分」
私は答えてシートを降りた。
バタン……かちっ
ドアが閉まる。
荷物を手に歩きだした梁前さんは、もう何も言わなかった。
本来持つべき物を取り上げられてしまった形の私は、やむなくテトテトとその後に続いた。
階段を上がり、白い床の通路を歩いて改札を抜ける。
キオスクだったか弁当屋さんだったかのお姉さんの驚いた瞳が、私の前の長身の青年に注がれるのがわかる。
町中をこの人と歩くときの、この日常的な視線を、暫く覚えることはないんだなと思うと、何だか少し変な気がした。
約一名を置いておくとして、優しい人達ばかりだったチームを、一時的とはいえ離れてしまうのは、結構大変なことなんだろうな。
ぼんやりと、考える。エスカレーターで上に向かいながら。
私がいない間に、人間関係に何か進展てあるのかな。
どうやら瑞緒さんは、新しいシャチの縫いぐるみをこっそり「忍様」とか呼んでいたけど。それが本人にばれたときは、是非その場にいて見物したいなぁ……まあ、なんてイジワルなワタクシ。
「……どうかしましたか?」
おっと危ない。
ついにやにやしてしまったらしい。
私は慌てて「いいえ」と首を横に振った。梁前さんがそれ以上追求することもなく、私達はプラットホームに到着する。
やまびこ38号は、既に、その緑と白の車体を寝そべらせて、乗客の来るのを待っているところだった。
「あの、えっと……有り難う、ございました。わざわざ」
席のところに荷物を置いてもらって、私はぺこり、頭を下げた。
そういえば、梁前さんって大学生なんだもん。本当は今日も講義とか……(はた。梁前さんって、何処の大学ぅ?)
すると、
「気にしないで下さい、研修自体、こちらから無理にお願いしたようなものですから。それから、笹本さんのことなら、青木さんがうまく計らってくれていますから、ご心配なく」
梁前さんは、この後聞いてみようと思ったことまでも、先回りして教えて下さった。
後は……
「あ、あの」
「ああ……チーム内の調整は、いざとなったらどうにでもなるものですよ。沖野さんのいない間は、ユハが要君と組むことになりますから……」
またまた、訊ねる前に答えは返ってきた。
そんなに、露骨に顔に出ていたんだろうか?
梁前さんは軽く苦笑して、腕時計に目を走らせる。
「要君だって、そうそう自分の立場を悪くするようなことはやりませんよ。ユハはあれで、なかなかきれる人です。それでも心配なら、頑張って早く戻れるように勉強して下さい」
「そう……ですよね。頑張りますっ」
力一杯に頷いたのがおかしかったのか、梁前さんは口許を押さえて、くすくす笑って言った。
「それでこそ沖野さんです。その意気で、頑張ってきて下さい」
「はいっ」
そうして私は、見知らぬ都市を目指して旅立ったのだ。
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