一体、何だっていうんだろう?「美弥にはなれない」だなんて、そんな当たり前のこと。そんな、沙霧なんかに言われるまでもなく、分かり切っている。
その上、何だって? 認めない?
何故にあの男が、そんな知った風な口をきく。
決してそんなことはないだろうが、高さんがそれを言うなら、まだ解る。
でもっ
───!?
また、妙な引っかかりを覚えた。
ついさっき、沙霧に言い返したときに感じたのと、同じ感覚。
その正体を確かめようと考え込んで、私は眉を顰めたまま、床に転がる枕を見つめる。
コンコンコン、という規則正しいノックが聞こえたのも無視してしまうほどに、違和感の追求に没頭してしまっていた。
「沖野……さん?」
控えめな声と共に、音をたてずにドアが開く。顔を覗かせたのは、働き者の三田少年だ。
条件反射行動で視線を送ると目が合って、その瞬間、三田君は怯えた表情でまくし立てる。
「だっ大丈夫ですかっ!? 起きたって聞いたから、お、お茶っ持ってきたんですけどっっっ」
それでやっと、自分が顔をしかめたままだということに気付いた。
ううっ眉間の皺が、消えなくなってしまうではないかっ
「あ、ごめん。考え事してた。お茶? アリガト」
笑顔をつくって言うと、三田君はおずおず中に入ってくる。
片手にお盆。漂ってくる、煎茶の香り。
入り口を通りすぎざま、三田君は枕に目を留めてぎょっとしたらしい。私は頭の中で、あははははと乾いた笑いをしてしまった。
「どうぞ」
手渡された茶碗を受け取り、
「ごめんね、わざわざ」
礼を言うと、三田君はやや言い訳がましく答える。
「多田さんと瑞緒さんは……笹本、さんの処についているのが精一杯なようなので、それで、あの、僕が代わりに……」
そういや、笹本には他に知人っていないんだっけ。
ショック、受けてないといいんだけど……
思ったのは顔に出ていたようだ。水使いの少年は、安心させるように笑って、状況を教えてくれる。
「先刻、気が付かれたそうですよ。思ったより、落ち着いているみたいですけど……」
「本当に? なら、よかったわ」
ほっと一息。
考えてみたら、素晴らしい性格の沙霧は勿論、高さんも、美弥さんのことに気を取られて、笹本の様子を教えてはくれなかったのだ。
……美弥さんのことに、気を取られて?
「あ……」
ようやく、私は引っかかっていたものが何だったのか、理解した。
あの男までがどうして、それ程までに高さんの妹に気を取られていたのか、ということ……
「? あの、どうかしたんですか?」
怪訝そうに訊ねられて、私はその話を切りだした。
「ねえ、三田君、青木、美弥さんって知ってる?」
「って、青木さんの妹さんのことですか? 三年前に亡くなった」
「そう。その美弥さんなんだけど」
「知っていますよ。障壁術専門みたいな方でしたし、あの頃のサポートの中では目立っていましたから」
「障壁、術?」
「いわゆる、結界師ですよ。直接的な戦闘能力は、殆ど持っていなかったみたいです。一度、同じコンビをサポートしたことがあったからわかるんですけど、障壁だけでもかなりの力の持ち主だったと思います」
話を聞きながら、ずずっとお茶を啜る。やや濃いめで、入れ立ての熱さがあった。
「同じコンビって……」
「確か、まだ青木さん自身もサポートをしていた頃のことです。今は、他の県に移っている方々のところでした」
「そっか……んじゃ、えーと」
高さんさえサポートだった頃に、目立っていた能力者? それも、浅沼君みたいな特別な能力で目立ってたんじゃなくて、障壁作りの実力として?
「三年前、問題の事件があったとき、美弥さんは誰のサポートを、していたの? 知ってる?」
「三年前、ですか? はい、多分……ええ、わかります。そうだ、何で思い出さなかったんだろう?」
後半独りごちて、三田君は自分の頭をこつんと小突く。
ずっ……うん、いい味。緑茶もまだまだ、捨てたもんじゃないね。
閑話休題。
「あの当時、チームの前身みたいな、複数コンビの合同作戦があったんですけど、その時、互いに違うコンビのサポートとして、ミーティングに参加していたんですよ……」
そこでまた言葉を切る三田少年。
とても言いづらそうな顔をして、上目遣いで私を見る。
「……続けて」
何となく、三田君が言い淀んだことは予想がついた。
「その、美弥さんがサポートしていたのは、お兄さんの高さんと……その、親友の…………沙霧さんの、コンビだったんです」
「親友っ!?」
思わず聞き返していた。
三田君の言いにくそうな様子から、三重人格男のところなんじゃないかとは思っていたけど。
前に誰かから(もしかしたら、高さん本人から)妹さんが亡くなる前は、同年代の男の子と組んでたって聞いた気はしたけどっっ!
「青木さんと沙霧さんは、支部最年少の、A級有望コンビだったんですよ、もともとは……境遇も似ているとかで、支部の外でも、とても親しくしていたと、聞いたことがあります」
しかし、三田君のその付け足しで、私の頭の中の符号は、ぴったり当てはまっていった。
パートナー殿の、やたら曰わくありげな態度、高さんと、睨み合っていたこと。二人の間に流れる、張りつめた雰囲気。それから、施設前での、政見さんの発言……
かつて同じ時間を共有していた二人と、その二人を違えさせた、美弥さんの一件……きっと、二人の目の届くところで、美弥さんは───
「美弥さんは、二人の目の前で……?」
「そういう、噂です……」
私も三田君も、それきりで黙ってしまった。
緑茶の深い色が、やたらと印象的だった。
H2の中で、将来を嘱望されていた二人が、目の前で大事な妹(沙霧にとっては、親友の妹)を奪われてしまった。
たった一人の妹さえ、守れなかったことを、どれほど悔やみ、自分を責めたのだろう?
「……でも、どうして? どうして、高さんは支部で一二を争う実力者と呼ばれて、沙霧、さん、は今までずっと、コンビさえ組んでいなかったの? 美弥さんのことがきっかけなら、どんなに高さんの力が優れていたって、これだけの差が、開くことにはならないじゃない」
私には、何故あんなに妹思いの高さんが、沙霧───あの冷血男よりも早く現場に復帰できたのか、不思議でならなかった。先刻の落ち込みようが、そのいい見本じゃないか。
「あの……コンビを組んでいなくても、先に現場に復帰した、というか、させられたのは、沙霧さんの、方なんです」
「えっ?」
「ですから、えーとっ……」
このあと、かなり紆余曲折して三田君は事情を説明してくれたんだけど、その間、数え切れないほど間の抜けた相槌まで入ったり、ややこしいことになったので、私なりに理解できた範囲で説明しちゃいます。
美弥さんの一件によるコンビの解消後、沙霧は梁前さんの元で否応なしに引っ張り上げられ、活動を再開した。
一方の高さんは、高科さんの庇護の下、彼に支えられながら少しずつ、ハンターとしての感覚を取り戻していったらしい。もともと、青木さん兄妹がH2に入っ たのは、高科さんの誘いによるものだったらしく、美弥さんが命を落としたことに、高科さんは強く責任を感じていたという話だった。
無理させることなく回復の手助けに尽力した高科さんのおかげで、気が付けば、高さんは支部の上層部に立つようになっていた。同じように、沈着な判断で支部 内の地位を固めていた梁前さんは、どういうわけか高さんと手を結び、その傘下に入った。今現在高さんと沙霧で支部内の立場が隔たっているのには、そうした 事情があったのだ。
だから結局、本来の能力者としての実力を計った場合は、高さんも沙霧も、あくまで同等の評価を与えられているのだ、とも三田君は言っていた。
三田君が行ってしまった後になって、私は、テーブルの上の、数枚の白い紙に気がついた。
たのむ相手も見当たらないし、自分でベッドを下りて、取りに行く。
それは、既にチームリーダーや支部長のサイン済みの、研修申請用紙だった。どうやら、例の千波にある養成所のもので、ということは、つまり、本当にすぐ、これを出せということなのだろうか。
少し悩む。
用紙を見る限り、普通の能力養成と同程度の研修期間であるらしい。
とはいえ、その間留守にするわけだから、とりあえずパートナー殿はサポートと組むことになるわけで……
組めるのか?
多田にべったり(うぇっ)の沙霧と、私以上に拒否反応起こしてる、その上高科さんにラブラブな、多田。
…………
考えていくうちに、だんだんと恐ろしくなってきた。
私がいない間に、チーム離散なんてなったら、どうしよう、とか……
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