眠い目をこすりこすり、ゆっくりと階段を下りていく。

 どうも今日はついていないらしく、二度目の夢もとっても有り難くないものだった。おかげで、いつもより遅い起床時間にも関わらず、一向に睡魔が消えそうな見込みがない。

 どのぐらい酷いかってーと、今日の朝食が何だったのかさえ、思い出せないぐらいなんだ。

 たった十五分前のことだっていうのに!

 

 私がのたくたと駐輪場に向かおうとすると、角から来た何かに衝突した。

 はじき飛ばされたわけでも無し。のろのろ、そのものを見遣る。

 

「……うあっ!」

 

 見事に一拍遅れで。ついでに、すっかり目が冴えてしまう。

 ……やはり、今日ついてないのは決定的のようだ。よりにもよって、朝っぱらから沙霧要と衝突事故を起こしてしまうだなんて……

 

「朝から呆けているな」

 

 沙霧は何の感情もこもらない声で、ぼそっと呟く。

「そんなのお互い様でしょっ!?」

 考える早く言い返して。そして考えると、確かに言い返すべきだったと思う。

 こんなにのろのろ歩いている私にぶつかった以上は、この男だって十二分にボケッとしていたわけで……

「……」

 沙霧は何も言わずに、横目でこちらを睨み付ける。対抗して、こっちもぎろっという視線を送ってやる……と、三白眼は深い溜息を吐いた。

「!! 何! 何だっつーのよっ」

 ますますかちんときて詰め寄ると、沙霧は顔を背けるようにして言った。

……別に。お前のことばかり言った訳じゃねーよ

「……!?」

 思わず頭の中で台詞を反芻してしまう私の横をすいっと行き過ぎ、沙霧は愛車のところへと姿を消してしまった。

「……一体、何なわけ……?」

 茫然と立ちつくす私の耳に、HONDAエンジンの遠ざかる音が聞こえた。

 

 

 

 ……午前中の講義が終わって。

 混んでいるだろう隣のファミマは避けて、少し先にあるローソンへ昼御飯を買いに行こう。

 ……と、言い出したのは、宮部の由貴ちゃんだった。

 確かに。

  塾の予備校生質がこぞって近場のコンビニに押し掛けるせいで、この丁度の時間に我々が昼食を採れたためしはないのだ。いつも、昼休みに食料を買い込み、次 の休み時間でそれを消費するという、何だかなな食生活。いっそのこと、せいぜい徒歩五分の別のコンビニに出掛けた方が、健康的な食生活へ向けて前進できる というものだ。

「何故今まで気が付かなかったんだろう……」

「寒いから」

「あのねー……あ、でも、神奈川さんはお弁当かぁ……」

 鷹尾女史とかけ合いしかけて、ハタ、と気付く。神奈川さんは我々から「お母さん」と異名(?)をとるだけあって大変家庭的で、いつもお手製のお弁当を持参しているのだ。いくら何でも、飲み物一つのために、そこまで出掛けるってのは……

 いっとくけど、いつも大抵鷹尾女史か宮部が昼食持参組で、買い出し組の我々と別れて先に昼食を採るパターンが続いていたんだ。

「ああ、大丈夫ですよ、そんな。どーぞ行ってらしてください。たまには皆さんのことお待ちしてますよ」

 にっこりと神奈川さんは笑ってくれるけど、正直それは気が引ける。

「ええっ? でもォ……」

「あ、私別に行かなくていーから。カロリーメイトあるし」

 そこに多田の声が割り込んできた。鞄の中から黄色の箱を出して、ひらひらとみんなに見せる。

 不っ健康な奴っ。棚上げ発言だけど。

「多田さん、昨日もそれぢゃなかったっけ?」

 呆れ声で突っ込む宮部。

 多田と私と、神奈川さんの声が重なって答えた。

「ちがうよっきのうのはちがかったもんね」

「はずれぇっきのーのはビタミンサラダだ」

「あまいですねぇ。ビタミンサラダですよ」

「おおっそろったな!」

 そこで歓声を上げる桂子ちゃんって、やっぱ強者だと思うよ、私は。

  後はどーせ何を言っても、多田がそれを昼飯と思いこむことを止めないのは分かり切っていたし、まあ、どーせ神奈川さんのおかずにたかるだろうという予測 (だってそーぢゃないと、神奈川さんの方から何かくれる、偉大だから……って、それを当てにしている我々も何だか(^^;A)もあったので、私達は急いで ローソンに向かうことにした。

 

 しかし。

 

「……ねぇ。ゆきちゃん?」

 襟首をひっつかまえるという方法で宮部を呼び止めた私は、彼女が何故、見当違いの角を曲がろうとしたのか訊ねようとした。(英文和訳調)

 もう既に先を行きかけていた鷹尾女史や笹本達は、振り返って、数歩戻ってくる。

「えっ? えっ? だっだからさぁ、どーせそっち行ったってぇ、地下鉄の入り口のとこぢゃん? 絶対混んでるからさぁ。FMの隣のとこって、説明しなかったのが悪かったんだけどさぁっ」

 FMの隣───ウチの高校御用達コンビニの一つって奴だ。そこ自体はまあ、比較的種類置いてるし、私もよくお世話になったところだし、距離だって、行こうとしていたローソンとそうかわんないものだからいい。

 けど。

 ただ一つの問題は……

 

「……で、どうすんの? お前さん方。私は別にいーよ、どっちでも。要は飯が食えりゃあいいんだから」

「桂子ちゃん!」

 鷹尾女史の発言に、宮部はひしっとしがみつく勢い。一々するリアクションがおかしい……待てよ。

 

 私が考えていたのは、ここいらの学区のことだった。

 

  唐杉に住んでいる宮部と、このあたり───本町に住んでいる神奈川さんは同じ中学出身で。本町には神奈川家があり、封鎖されたウチの学校と、現在通ってい る塾も同じく本町。その中間にある「家具の街」って名称のカグヤ街も、当然のことながら本町内部に含まれているはず……ってことは、本町にあるカグヤ街の 中の家具店が実家であるところの人間は、ごく当たり前のこととして、二人と同じ、唐杉山中学出身ってことで……(あーややこしい)

「……もしかして、多田ってば知ってて逃げた?」

 こっそり笹本に囁くと、怪訝な顔をされた。

 まあ、そう言えば、こいつがどの程度まであの男の環境について知っているのか、私は知らない。いくら何でも、多田の嫌悪ぶりぐらいは分かっているんだろうけど。

「わーった。いいよ、別にっ」

 私はついに首肯してやった。向こうは今頃高校だし、出会す危険性なんてないもの。

 

 『沙霧家具店』では、いつものお姉さんがストーブの火加減を見ているところだった。

 私達がその前を通りかかったとき、上背のあるがっしりとした男の人が、ガラス戸の向こうに入っていった。

 「いらっしゃいませ」の言葉はなくて、代わりに男性の「ただいま」を言う声が聞こえる……誰、だろう?

「……あれが噂の沙霧家長男ですかい」

 横から笹本が、実に興味深げな様子でその答えを教えてくれる。う゛、やっぱり知ってたのか、あそこが沙霧ンちだって。

「……」

「保さんだっけ? 結婚するんだよね、四月になったら」

 私が何も答えないでいたら、笹本はそう話を続けた。でも、何、それ? 結……婚?

「ほらどーした、二人共っ遅れてるぞ」

 聞き返し損ねた私は、早足で前の二人に追いついた。角を曲がって百数米。その間の話なんて、聞こえちゃいない。

 で。

 

 ピンポンピンポンピンポォォォン

 

 鳴る音を共に、それなりに人の入りのあるコンビニの中にはいる。

 まっすぐ奥のコーナーに行こうとすると、宮部は私の袖を引いた。

「え、何?」

 突き当たりより一つ手前、菓子棚の影に隠れるように、宮部は小さく引っ込んでしまう。仕方なくそれに倣おうとしてみると、笹本も桂子ちゃんも、先にDRINKの方へと足を運んで行くところだ。

「……あの、おにぎりんところに立っている人!」

「え?」

 宮部の台詞が一瞬理解できず、訊ね返す。

 けれどすぐいわんとしているところを思いついて、私は彼女の示した方角に目をやった。

 ウン、おにぎりのところの……う〜ん、女の人、ぢゃ、ないよね?

「あ、ああ、あのヒトね」

 かなりお座なりな返答をしても、宮部は全く気に留めない。やっぱり、原因はコレか。

 ただ一つ、沙霧要とはムカンケイであったという点がよかったと思う。

 年の頃は二十……五、六歳ぐらい、かな。後ろ姿だけでは、何ともね。結構しっかりとした肉付き(太っているわけじゃなく)で、背は、まあ高い、かな。趣味のいい、上品な上着を身につけている。多分、バーバリ、かな? 高科さんが、確か同じようなの着てたはず。

「かぁっこいーっ……と思わない?」

「……うしろすがたでいーなら」

「いぢわるぅ……」

「あのねー、しょうが……」

 「しょうがないでしょーが」なんて出来の悪い冗談のような台詞を言いかけた私は、その問題の人物がレジの方に向きを変えたため、気付かれないよう口を閉ざした。が。

「……あ…………」

 次の瞬間には、間の抜けた声が漏れてしまう。

 

 うわっそれってばまずいったのむっふりかえらないでくれっっ

 

「ああ、どうしたんですか? こんなところで」

 その男の人は、私の心の叫びも知らずに、そう言葉をかけてきた。

「ええっ!?」

 驚いたような、期待がこもっているような、宮部の声。

 ……そりゃあ、突然親しそうに話しかけられたから……この様子じゃ、暫く前から目を付けていたようだし。

 正直私は、宮部が少しかわいそうな気がした。

 

 だって、この人は……

 

「あっははは……どぉもぉ……お昼、買いに来たんですぅ」

 引きつった笑みを浮かべつつ、私はそう答えることに辛うじて成功した。後ろの、宮部の視線が痛い。

「そういえば、結構近いんですね、塾からは……でも」

 “体に悪いから、カロリーメイトばかりではいけませんよ”と、高科信明氏は続けた。

 そう、それはまさしく、高科氏だった。高科さんのと似てると思ったコートも、何のことはない。高科さんのコートそのものだったというわけだ。

 それにしても、多田に是非聞かせてやりたい言葉である。

 だけど何でそんなこと言われたのかわからなくて、きょとんとし……自分達がそういった栄養食品コーナーの前にいることに、初めて気が付いた。

 不覚だ。

 パン棚の裏なんだから、そうに決まってるじゃないかっどんぐらい、このローソンに入ったことがあると思ってるんだ、自分! うじうじ……

「? どうしたんですか? 一体……」

「あれー? 高科さん」

 そこに、救いの神とでも言うのか、呑気な笹本の声がした。

 ほっとした反面、よく考えてみるとコレ、よけーまずくないか?

「おや、笹本さんもいらしていたんですか」

「どーしたんですかぁ? こんなところで」

「皆さんと一緒ですよ、お昼を買いに来たんです」

「……高科さんとコンビニおにぎり……」

 ついつい呟いてみると、何故かうけてしまった。ごめん、高科さん。困った顔されてしまった。

「そんなに、おかしいですか?」

「いやいや、そんなことないっすよぉっはははは……で、でも、なぜにおにぎりなんですかっ?」

 うん、そうそう。

 笹本の言ってることなんだよね。私がさっき気になったのも。

 中堅企業の秘書課に勤めているような男の人が、バーバリのコート着てるような人が、こともあろうにコンビニおにぎり?(偏見)

「社員食堂より、はるかに自由が利きますからね」

 言われてはっと気が付いた。未成年で、学生でもある私達と較べて、立派な社会人である高科さんのところには、細かい雑用なんかも問答無用で回されてくるのだ。特に、ウチのチームで唯一社会人の、高科さんだから。

「……おつかれさまです……」

 私は思わず頭を下げていた。

「いえいえ……それじゃあ、私はこれで。勉強、頑張って下さいね」

 そういって高科さんは去っていった。

 ……ああ、確か、彼も定時連絡、義務づけられてる人だっけ。ちらり、頭をよぎる。

 笹本と目を合わせようとすると、その前に、じと目の宮部の視線にとっつかまった。

「何で知り合いなのぉ!?」

「しょーがないやん、近所の兄ちゃんなんだから」

 こういうときの笹本って、本当、しっかりしてると思う。言葉に詰まって答えられなかった私と違って、何の嘘でもない事実を一つ、単純に言ってのけた。

 高科さんと笹本は(私もだけど)、同じ建物の違う階に生活している……近所と表現しても、間違いにはならないはずだ。

「えーっ」

 狡いだとか何とか、不服そうに言っている宮部をどうにかなだめ、私達は自分の買い物を済ませる。

 随分時間を食ってしまった。多田、怒ってないかな?

 私達は時計を気にしつつ、早足で塾へ舞い戻った。

 

 ……にしても、我々、コンビニの中で何やってんだか……

 

 

 

 

 

 


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