「……これは、酷いな……」
突如として声が湧いた。
人間の、若い、男の、やたらと落ち着いた声。
慌てて入り口の方を向く。
いつの間に人が……!
殺気立ってさえいたのかもしれない。
しかしながら、「おいおい、そればかりは止めてくれよ」とゼスチュアで示して、ゆっくりと歩いてくるのは、ここにいるのが信じがたい人物であった。
「政……いえ【豹】!?」
がらくた置き場と化した店内を音もなく歩いてくる青年を、かといって見間違えるはずもない。彼はこの異様なシチュエーションにも関わらず、にこやかな表情で只今を言った。
「ごくろーさん、【智依名】……れにしても酷いな、これは……」
……流石の【豹】氏も、私の肩越しに見える妖霊の有様には眉を顰めた。
「なまじ、人の姿を留めおかれただけの無惨か……」
数秒後、彼はそんな呟きを漏らして、一歩前に進み出た。つられて振り返った私の視界で、妖霊の肉体さえもが黒の池の内に溶かされていく
完全に力尽きた証拠である。存在力を失い、消えてなくなってしまうのだ。……あのままの姿が残されるのと、存在の痕跡すらなくなってしまうのとではどちらの方がマシなのだろうかと、妙な疑問が頭をかすめた。
「……【智依名】、君はどれくらいここにいる?」
踵を返した【豹】は、出し抜けに訊ねてきた。
ど、どの位といわれても……戦いに集中してる間は、時間のことなんてよく考えてないし……
「【皓樹】のトコに何か連絡が入ってた。んで、邪魔ンならないようにこっち出てきたんだけどな」
「【皓樹】のところに?」
「そうだ。【狙撃手】のところにCALLするのを聞いたぞ。確か今お前さんは……」
【豹】の言葉に私は迷いを見せた。私が異変を察したのはここではなく、二階の方だ。それを放り出してどこかに行くなんて……
けど。【狙撃手】=沙霧要に呼出がかかった以上、パートナーである私だって当然……
一体どうすれば……!
「一度店の外出てこい。此処は俺が引き受けておく。呼出なら、そのまま行けばいいさ」
【豹】はあっけないぐらい簡単にそう促した。
考えてみるまでもなく。【豹】は先輩格の能力者で、此処の事態を委ねるに足る人物だ。それでも……彼は長旅から帰ったばかりで、そんな相手に任せきりにするってのはちょっと、気が引けた。
「【智依名】」
【豹】は片手を私の肩に乗せて、じっと私を見た。
「此処はいい。とりあえずどんな種類の能力者でも、抑えておくぐらいできるんだから。けどいいか? お前と【狙撃手】が組んでいるからこそできる、お前の持つ力でなければできないことだってあるんだ。【皓樹】に入った連絡ってのがそれじゃないなんて断言はできないだろう?
むしろ。俺達だって戻ってきてるのに、わざわざ今の時間学校に散らばってるお前らの方に呼出がかかってんだ。お前らじゃなきゃできない仕事である確率の方、高いんじゃないのか? せっかく此処まで頑張って認められるようになったんだ。与えられた仕事の方、優先しろよ」
「でも……」
「そんなに心配なら……表に【電脳師】がいただろう? あいつを寄越してくれればいい。電気屋の中なんて、あいつの力使い放題じゃないか」
諭すような静かな口調の後は、緊張をほぐすように冗談っぽく続けて。ダメだな、やっぱりこの人にはかなわないや。
私はもう、首肯するしかなかった。
【豹】は軽く二度私の肩を叩いて、二階の階段へと向かっていった。
私も、瓦礫の隙間を縫って入り口へ戻っていく。
浅沼少年は、まだそこで待っていてくれるんだろうか?
黙って行ってしまうわけもないんだろうけど。
表に出た途端、待ちかねたようにポケベルが作動して。
「あ、沖野の姉ちゃん!」
浅沼少年は人垣からはちょっとずれた位置で私を待っていた。
「ごめんッ電話ッかけてくるから!」
「若柳区北の裏通り、青空駐車場になってる辺り一帯だって!」
慌てて踵を返そうとした私を、浅沼君はその言葉で引き留める。
「それって」
「亮兄ちゃん来たから、先に電話かけてみたんだ。早く行きなよ。何か大変なことなってるみたいだからさ」
「大変なこと?」
「何かみんなつかまんなくて、沙霧さん一人で行っちゃったんだって。沖野の姉ちゃん一応パートナーだろ? だからせめて姉ちゃんだけでもってことらしいよ」
「う……うん、わかったっ……て、にもつは……」
「とりあえず一階はへーきなんでしょ? しょうがないから俺持ってくよ。亮兄ちゃん手伝うのも久しぶりだしさっ」
「じゃ、お、おねがい」
どもったのは、急いでるの半分。後の半分は何だかとても楽しそうな、浅沼君の様子のせいだった。
「ほい、データ転送」
「ありがと」
震えっぱなしだったポケベルは、浅沼君が操作すると静かになって、文字の代わりに、若柳区北部の略地図が表示されるようになる。流れてきた情報を、浅沼君の力で受信機器に見合った形式に変換したのだ。
「連絡つき次第他のみんなも急行させるって言ってたよ」
「わかった。じゃ、浅沼君も気をつけてねっ」
私は地図に軽く目を走らせると、浅沼君に手を振って、自転車の停めてあるミスドの前に駆け寄った。
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