「……それでは、解散です。皆さん頑張りましょう」
高科さんが全員を見渡して言うと、自然と皆立ち上がって礼をした。
まず、高さんが静かに部屋を後にする。いつかと同じように、残された皆はほう、と息を吐く。
何故か、無意識のうちに全身が緊張していたのだ。周りの、重たい空気に押されて。
そしてそれは、征見さん達CATSチームの面々こそがひしひしと感じ取っているようだった。
私達がそれぞれ動き始めたとき、梁前さんは不意に沙霧を呼び止める。
「……要君……」
沙霧は妙にびくっとして振り返った。
いつもの状態に拍車をかけた、硬い表情。その沙霧の瞳をじっと見つめながら、梁前さんは言葉を続ける。
「……どうか───言われなくとも、解ってますよね?」
そして、それ以上は何も言わないまま去って行った。立ち去り際、意味ありげな視線を多田と私とに向けた上で。
その一瞬で沙霧の表情は大きく変化した。
頭に血が上ったのだろう、いつもは白い頬が見事に紅潮している。
それで、私はこの間の浅沼君の事件を思い出した。
「ねぇねぇ、今の何なの?」
興味津々の顔で瑞緒が訊ねてきた。誰の目にも、あの二人のやりとりは曰わくありげに映っていたらしい。
「ああ、瑞緒。この間あの人と浅沼君、とんでもないことしでかしてたから」
「多田、まだ根に持ってるよね」
投げやりな調子で答える多田に、私は苦笑した。といっても、多田の気持ちもよく解るんだけど。
「当たり前でしょ? 何なの、あの男」
本当に嫌そうに多田は言い捨てる。あの一件で、沙霧の株は大暴落したらしい。
女性用のロッカールームをのぞき見るのも悪質だけど、多田が映った瞬間大慌てでやめさせようとするあたり、二重に失礼なヤツだ。
あの日の帰り、地下鉄の駅で私達と別れた多田は、何か言いかけた沙霧の手をあっさり払いのけた。
そして、梁前さんもかくやというほどの冷気を身に纏って、つかつかと改札に向かったのだった。
その後ろ姿を、じっと見つめていた沙霧。多分沙霧は……
「ねぇ、だから何なの? って。何したの?」
「ひぃみぃつ。教えたげないよっ」
訳が分からずに聞き返す瑞緒に、私はわざと茶化すように言った。
多分そう、きっとそう、絶対に。
けれど、そんなことは認められない。
それは、真実に違いないけど。
「沖野、おきの、行こう」
頭の中でぐるぐると言葉が回って、つい無表情に黙り込んでしまった私に、多田が声をかける。私達は連れ立って与えられた部屋へと向かった。
二階の、ちゃんとした二人部屋。修学旅行の時みたいに無理矢理エキストラで二人部屋にしたような作りではなく、二人分の居住スペースがしっかり確保されている。
というより、後で確認したところ、続きの二部屋の仕切を開放している状態らしい。左右に一つずつドアがついている。
……相変わらず、よく解らない組織だ。一体どこから、これだけの設備を整える財力をひねり出しているんだろう?
部屋の広さにほっとするより先に呆れてしまって、私はベッドの上に座り込んだ。
「……回、腕立て50回、腹筋50回……」
一方で多田が何をしているのかと思ったら、入ってきたばかりのドアに張り付けられていたワープロ用紙を声に出して読み上げているところだった。
いかに体力勝負の仕事だからといって、一日に5セットも、それらをこなさなければいけないなんて。体力がつくより先に、実戦前からへばってしまうんじゃないか?
私は心の中で、このメニューを決めたであろう梁前さんの姿に、ぶつぶつ文句を言った。
「3セットなら何とかなるかもしれないけどさ〜あ、5セットはきつすぎだよね」
ぼそっと呟くと、多田も無言で頷きを返した。H2に入った当時も、似たようなメニューをやらされたことがあったが、それはせいぜい2セット程度だった。
勿論、これは体力強化のためのメニューだから、他にシミュレーションや組み合いの訓練もやらされるはず。
まったく、考えるだけで疲労してしまう。
私はバッグを開けて荷物を整理しながら、深く溜息を吐いた。
……トントントン
そんな調子でだらけていると、誰かがドアを叩いた。
「───誰?」
多田と顔を見合わせてから、私が訊ねる。
返ってきたのは
「僕……いえ、三田です。各使用時間割り当ての一覧表を持ってきました」
というおとなしい声だった。
「どうぞ」
「失礼します」
三田君は妙に畏まって中に入ってきた。その手には、言葉通り、3枚ほどプリントを持っている。
「えーと、一枚を壁に貼って、残りをそれぞれで持っていて下さい。シミュレーションルームの使用割り当ては、特に個人毎に設定されていますので、注意して下さい」
ドアの近くにいた多田に三枚まとめて紙を渡しながら、三田君はそう説明を加えた。私も、多田の後ろからひょこっとプリントを覗き込む。
私と多田と沙霧、さんはひとまとめにされていることが多かった。
それ以外のところでも、基本的に3人続きで割り振られているのが殆ど。
当たり前といえば当たり前だけど、高科さんとはすっかり離されていて、多田は上機嫌とは言いがたい表情になる。
「多田、残念でしょ」
私はからかうように言って、多田の頬を軽く指先で突っついた。
表情や印象はシャープだが、案外柔らかい頬の持ち主なのだ。
「いーもん、同じ屋根の下にいられるだけで」
「をーゐ」
すねるように答える多田に、思いっきり脱力。
全く何を考えているのか、こいつは。
「あの、どうしたんですか? 多田さん……」
三田君は普段の多田とのギャップに驚いて、遠慮がちに口を挟んできた。
多田はあからさまに上の空で「ああ、三田君、気にしないで、うん……」答えて、プリントに視線を落とした。
使用素材配布元:LittleEden