目を覚ました私が真っ先に見たのは、にらみ合うように向き合っている、二人の“視線”だった。
一つは高さんのもので、もう一つは……何故か、梁前さんでも高科さんでもなく、沙霧のものだ。部屋の中には、他に人影もない。
私は焦ってしまって、寝かされていたベッドの上から勢いよく転がり落ちてしまう。
どさっ
「あたっ」
気配と音と声の三連発に、二人は同時にこちらを向く。
うう、また、醜態を晒してしまった……
なのに、いつものような、パートナー殿の冷ややかな反応、高さんの特異なまでの反射神経、そのどちらもが、働かないキリだった。
私は一人でごそごそ這い上がり、ベッドの端に腰掛け直す。
空白……
後。
「だ、大、丈夫……か……?」
やけにぎこちない、声がした。
高さんの、硬直した、笑み。
「あ、は、はい、どう……も」
つられて、答える私までもどもってしまう。
何とはなく、居づらい雰囲気。
あの、人を人とも思わぬような性格の沙霧にしたって、何か言いたそうで、なのに何も言おうとはせずに、黙りこくっている。ただ時々、互いの様子を窺いながら……
長い沈黙。
外の雑音も遙か遠く、静かさのあまり、耳の奥がきぃんと痛くなる。どうしたというのだろう、この、張りつめたような空気は。
胃がおかしくなってしまいそうな感覚に、私はたまらず口を開いた。
「あっ、あのっ……」
高さんはずいっと身を乗り出した。
「お前……誰に、会ったって……」
けれど、そう訊ねたのは沙霧の方だった。
びくん、高さんの肩が震える。平静を装ってはいるものの、沙霧の声も、いつになく掠れている。
「あ……───」
不意に私は、二人が何を知りたいのか、理解した。
正確に言えば、誰の、ことを。
恐らく、気絶する寸前に、無意識で呟いた言葉があったのだろう。美弥さんに、関連した……
私はこくっと頷くと、思い出せる限りのことを、ゆっくりと二人に話し始めた。
笹本が、誤って「トラジェリア」という世界に連れて行かれたこと。「トラジェリア」では「トラジェリアン」と「トラディネラス(=妖霊)」が、ずっと昔か ら戦ってきたらしいこと。次元を移動する、独特の力、そして、“アキム・アマヤ・タク”を名乗る「トラジェリアン」と、青木美弥とは、どういうわけか知り 合いであったらしいということ……
いまいち理解不能だった、アキムの最後の言動はともかく、私がその対面の全てを語り終えると、二人は遠慮がちに(私には、沙霧が梁前さんや多田以外の人間に、こういう表情を見せることが不思議だった)互いを盗み見、小さく息を吐いた。
「まだ……」
少しだけ嬉しそうな微笑みと共に、高さんは呟く。
「まだ、美弥のことを忘れていないヤツが、いて、くれたんだ……」
遠い目をして、美弥さんを、思い描いているみたいに。
私は、そんな高さんを邪魔してはいけない気がして、息までひそめてしまう。
何だかしんみりしてしまった。
私達は三人揃って黙りこくって……十分近くもそうしていただろうか。唐突に、高さんはスイッチを切り替えるように、表情を引き締めて言った。
「千波に、トラベラーの養成コースがある。すぐにでも手続きを済ませて、向こうに向かって欲しい」
普段通り、逆らいがたい強制力を持つ、リーダーの声。けれど私は、言葉の意味が咄嗟に理解できずに、瞬きして、眉を顰め、間をずらして訊ね返す。
「トラ、ベラー……?」
聞き慣れた単語ではある。“旅行者”の意味を持つ英語だ。
が、「養成」という言葉がそれに続く以上は、能力に関係のある言葉であるはずなのだ。けれど……そんな能力者なんて、聞いたこと、ないぞ……?
高さんは軽く頷くだけ。
私がなおも首を傾げていると、すっかり表情を隠した例の口調で、沙霧さんが代わって説明を始めた。
「─── トラベラー、正しくは、次元移動能力保持者は、一般には存在を隠されている特殊能力者だ。つまり、能力者の集合体であるところの、ハンターズホームにおい てさえも、ごく少数の、一握りの人間にしか知らされていないということだ。文字通り、多次元間のギャップに惑わされず、ある程度自由な行き来が可能な次元 の旅行者……これからの、他の空間との接触・交渉の可能性から、育成に力が注がれている能力者だが、生憎とH2Jでは、三年前に最年少の能力認定者・《未杜》こと青木美弥を失って以来、新たな候補者は一人も挙がっていない…………誤って飛ばされたにしても、勢いで飛び込んだにしても、何の処置もなく、平気で他次元から戻ってきた者は、未だかつていなかったようだが……流石に、体力にしか寄るところがないだけのことはあったらしいな」
「何よそれ、まるで人が体力馬鹿みたいじゃない!」
最後の一言にかちんときて、即座に言い返した。
だけどまた、頭の別な部分では、その前の台詞について、腑に落ちない何かを感じ取っていた。
でも、何が、おかしい……?
「へぇぇ?」
「沙霧っ」
冷笑する沙霧を、高さんはたしなめる。
短いその一言だけで素直に引き下がってしまうところも、らしくはないと思った。
高さんはもう一度私に向き直って、
「これは、チームリーダーとしての、そしてH2Jからの要請だ。トラベラーの資格を、取りに行ってくれ」
そう告げると、邪魔をして済まなかったと椅子から立ち上がった。
すっかり、落ち着きは取り戻している。
けれど、《鷹》……高さんにとって、美弥さんがどれだけ大切な存在であったかは、まだ治りきらない顔色からも十分に伺い知ることができた。
そして、先程までの、彼の様子からも。
「分かり、ました」
私ははっきり頷いた。
高さんは、微かに表情を和らげて礼を言うと、静かに部屋を去っていった。
それを見届けてから、私は、何故かまだ居残っているパートナー殿の顔を、ちらっとのぞき見る。
向こうも、閉ざされたドアから、こちらに首を巡らせたところだった。
いつにも増して、鋭い目つき。
ついさっきまでの、らしくないのにくらべたら、見慣れたものには近かった。が、何故に、妖霊睨むよりもきつい瞳を、向けられなければならないのだろう?? 理不尽なヤツだとはもう熟知していたつもりだったが、今度のはまた格別だ。
「何なの……?」
礼儀として、睨み返しながらそう訊ねる。
「お前は、美弥にはなれない」
本当に出し抜けに、沙霧はそんなことを言った。
それから、念を押すように「俺が認めない」とまで。
沙霧要は、自分の言いたいことを言ってしまうと、私が意味を掴みかねている間に、さっさとどっかに行ってしまった。所詮、そういう男だ。
「勝手にしてなっ!」
頭に来たので、手近にあった枕を、ヤツの消えたドアに向かって投げつける。ぽすっという情けない音をたてて、枕は床に転がった。
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