明け方の冷え込みに悴む身体を、足踏みを繰り返して暖める。
昨日のことは長くて悪い夢だと思いたかったけれど、目が覚めた私は、やっぱり異世界の公園の中にいた。
これから、松井さんと待ち合わせて例の高校生の家に行く。そこに沙霧らしい人物がいることは、相手が判った途端、時間に対する配慮なんてものをどこかに吹き飛ばしてしまった松井さんの電話によって、昨日のうちに確認されている。
沙霧「らしい」っていうのは、松井さんが電話をかけたとき、その人物が爆睡中で、詳しいところを確認できなかったからだ。
けれど、受話器越しに聴いた身体的特徴とか、服装、おまけに、どことなく違和感のある喋り方(いかに類似した世界とはいえ、次元移動能力のない存在には、言葉の伝達は難しいのだ)というポイントが、沙霧に違いないって確信を強めてくれた。
「朝一番」。本当に本当の事情を話さずに、松井さん達をそれ以上急かす言葉も見つけられなくて、私は落ち合う時間と場所を確認する事しかできなかった。
そして、翌日の、早朝。
問題の高校生のアパートに、松井さんは再び電話をかけた。(何故こんなに時間を気にせずかけられるのかといえば、その人が一人暮らしをしているためらしい。昨日の電話の後で、松井さんはそうネタ晴らしをくれた)
こんな時間だっていうのにツーコールくらいで電話を受けた(だってあの三人組を思えば、健康的な生活を送ってるとは誰も考えないだろう)相手は、松井さんの質問に肯定的な返事をしたようだ。
松井さんは自分のことのように意気込んで二三、言葉を重ね、
[すぐ行くからしっかり見張ってろよ!]
不必要なほど勢いよくガシャンと受話器を下ろした。
[まだ寝てるってよ]
私に向き直った松井さんは、感心してるようで、何処か呆れているような、複雑な表情をしている。
もしかしたら、安心させようとして言ったのに空振りになって、戸惑ったせいなのかもしれない。
けれど、「まだ寝てる」その一言は、私を青ざめさせる役にしか立たなかった。
―――忘れようとしても、忘れられないものの一つ。
目を開けないまま、笹本の顔色はどんどん土気色になって……!
ぽん。
ぽんと軽く、松井さんは私の頭に手を載せた。
[怪我してるクセに喧嘩して暴れ回ってりゃ無理ねぇだろ? 馬鹿なヤツだよな、そいつも]
「怪我……喧嘩……」
馬鹿みたいに反芻……するうちに沸々とこみ上げてくるのは、怒り。
異次元に耐性のない身体では、ほんのちょっとの怪我でさえ致命傷になりかねないのに、何考えてるんだよ、あの男!! そんなに、そんなに美弥さんのこと引きずってイライラしてるわけ!?
沙霧らしいけど、そんなの、何だか沙霧らしくない。
[すぐ行く、なんつっちまったけど、大丈夫か? 沖野。お前もしかしてろくに寝てないんじゃ……]
「大丈夫です、慣れてますから」
あたしの顔に赤みが戻ったのを確かめるように覗き込んで、眉を寄せる松井さんに即答すると、私はブーツに手をやって短刀がちゃんとそこにあることを確認する。
昨晩、松井さんと別れた後、仮眠をとる場所を探している途中でまた妖霊共に出会したせいで、それどころではなくなってしまって、実は一睡もしていない。だけど、そんなことよりずっと、沙霧を確保することの方が重要だから、それは言わないでおいた。
実際、一部の連中の嫌がらせから、貫徹の挙げ句早朝からの仕事に駆り出された経験も、一度や二度では済まないので、慣れてるって言う言葉は強ち嘘というわけでもない。
[じゃあ……行くか]
松井さんはなおも疑わしげな目でこちらを見てきたが口ではそう言って、予備のメットを私に差し出した。
予備のメット―――こんな風に手渡してくれるのは、高さんや政見さん。沙霧はいつも放って寄越すか、シートの上に置いておくだけで、だけど、組んでいる当の相手だから一番、そやって渡されることに馴染んでしまっていた。
あの時、手の中に転がり込んできた沙霧のメットは、高さんのところにある。
必ず連れて帰るっていう、何よりの約束に代えるようにして。
[……沖野?]
「何でもないです、お願いします」
不審げに声をかけてくる松井さんに首を振って見せた。
渡されたメットを被る。
松井さんはそれ以上の追求をせずに、無言でインパルスのエンジンをかけた。
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