[うおっ?! 何だコリャ?!]
突然大声がして、私はびくっと振り返った。
松井さんが来た時と同じ、ユニフォーム姿の赤い頭が、驚愕の表情でこちらを見ている。
写真でも、何度か見た顔だ。
沙霧を拾った人と仲の良い、松井さんの後輩。
彼がやってきたのは、様子を見に来た松井さんが、いつまでも戻らなかったからなんだろう。
雰囲気からして、喧嘩慣れしてそうなタイプなのに、そんな彼でも目を瞠るほど、ここは物凄い状況ってこと。
[どうした、治道]
立ち竦む彼の後ろから、今度は聞き覚えのある声がする。
続けて姿を現した伊藤さんは、やっぱり瞠目した後、治道と呼んだ友人の脇をすり抜けて私達の方に駆け寄ってきた。
[伊藤か]
ちらと顔を上げて、松井さんは呟く。
二人がかりでやってるとはいえ、無駄にタッパのある沙霧のいたる所にある傷口に応急処置を施すのは手がかかることで、呟いた松井さんはすぐにまた、目線を下に戻す。
[酷い傷だな]
伊藤さんも無駄に騒ぎ立てることはしなくて、光を遮らない位置に立ったまま、かすかに眉を顰めた。
私は、物理的な処置は松井さんにほとんど委ねながら、繰り返し繰り返し、真言を唱え続ける。
そうしていなければ、辛うじて引き止められた沙霧の命がどこかに消え去ってしまいそうで、懸命に懸命に、力を注いだ。
[救急車、呼ぶか?]
[ああ……いや、まずいらしい]
[っか……じゃ、ちょっと待ってな]
伊藤さんの言葉に強張った私の表情に、下を向いている松井さんがどうして気付いたのかはわからない。けれど、相槌を打って少し迷っただけで、松井さんはそう答えて、伊藤さんも、そう納得してどこかへいってしまった。
[治道]
通りがかりに一声。
伊藤さんは、その友達を連れて行った。
[あぁっ! クソッとまらねぇ!]
苛立たしげに、松井さんは傷口を押さえつける。
じくじくと流れ続ける沙霧の血は、とうにユニフォームに染み渡って、その端から滴り始めている。
それが、松井さんの皮膚をも赤く染め上げる。
私は松井さんの手に自分のそれを重ね、その一番酷い傷が、一刻でも早く塞がるようにと強く念じた。
全ての意識は、一点に集中する。
掌から沙霧の細胞に働きかけ、その治癒力を引き出し、引き上げるイメージ。
血液の流出を止め、正常な循環経路へと、導く。
少しでも、早く。
少しでも、確実に。
[待たせたな]
ふっと集中が途切れたのは、戻って来た伊藤さんの一言のせいだった。
顔を上げる。
と。
[おい、それ……?]
怪訝な声を上げたのは、松井さん。
伊藤さんとその友達が運んできたのは、誰が、どう見ても。
「長机?」
[倉庫からかっぱらって来た。まあ、担架の代わりだな]
[おぉ]
伊藤さんの言葉に、松井さんは納得したようなしていないような、曖昧な頷きを返す。
[それから]
[マッチーのカバンと上着だ。何だかよくわからんがな、撤収しなきゃならないんだろ]
[あぁ……だな。助かる]
赤い頭が机の上に荷物を置くと、松井さんは答えて、ごく小さな声で礼を言った。
確かに、このままここにいたら確実に人が集まってくる。
校舎にはまだ結界の効果があって、このあたりにも敢えて近づいてこようという人は殆どいないけれど(私や沙霧と関わりのできた松井さんや伊藤さんは特別だ)、飛び散ったガラスの破片に、血まみれの私達。事情を知らない人が目撃してしまったら、間違いなく大騒ぎだ。
伊藤さんの友達の赤い頭でさえ、思わず立ち尽くしてしまったように。
けれど、それだけは、避けなくちゃならない。
この世界に本来存在しない私たちが、病院という機関に収容されること。
療法が正しく反映されるかわからない環境に、この沙霧が隔離されること。
騒ぎに巻き込んでしまった松井さん達への、周囲からの追及。
そして何より、騒ぎのどさくさで、沙霧と同質存在が接触を果たしてしまう確率の高さ。
私がここまで来た意味が、なくなってしまうどころか、マイナスにさえ、変わってしまう。
けれど、沙霧の傷は容易に動かせる状態じゃないし、容易に移動できる体格もしてない。
伊藤さんは先刻の短いやり取りの中でそういったことを全部考えて、必要なものを持ってきてくれたのだ。
[ちょっとどけてくれるか?]
伊藤さんは私を安心させるようにかすかに笑って、沙霧の傷口に載せられた手を持ち上げた。
私は頷き、長机に載せるのに邪魔にならないよう、道を譲る。
伊藤さんと松井さんの二人がかりで、沙霧の体は長机の上に横たえられた。
[えーと、沖野さんには俺の上着を着せるとして、一つだけ問題がある]
伊藤さんは、ランニングの上から直に上着を羽織る松井さんを見ながら、来ていた上着を私の肩にかけて言った。
[あぁ?]
着心地が悪いのか、少し顔を顰めて松井さんは聞き返す。
[真昼間にこんなもん担いで歩いて、目立たないわけないってことさ]
[[……]]
伊藤さんの指摘に、松井さんと赤い頭、二人揃って黙り込んだ。
背負ってたリュックを下ろして、かけてくれた上着の上から背負いなおした私は、自分のコートの内ポケットを探る───がさがさいう、紙の手ごたえ。
まだ、残ってた。
「それは、私がどうにかできます」
簡易結界符を取り出しながら私が言うと、三人の目は一斉に私を見下ろした。
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